aki100mac’s blog

日頃考えていること、体験したことをブログしています。

こんにちは、自己紹介です。

雑誌「ばんぶう」 2005年11月号 「医療を変える7人の侍」




医師になりまして、40年が経過しました。ここで、これまでの経緯を少し整理しておこうと思います。 

 私は、昭和56年3月に九州大学医学部を卒業しました。その前年の暮れに当時の小児科学教室の合屋教授から電話がありまして、「小早川、君は2年前の講義の出席が足りていないから、卒業させられないよ。でもね、卒業時に小児科に来てくれたら卒業させてやるが、どうかね。そうか、来てくれるか。ついては暮れと正月に小児科の病棟で研修しなさい。」とのお達しでした。

 当時私は、「九大医報」という学内誌の編集部にいまして、5年生と6年生のときには編集長(といいましても部員は3名だけでしたが・・)をしていまして、猫の手も借りたいほど忙しく編集作業に勤しんでいました。当時の編集部は九大医学部の医学図書館1階にありまして、電話は大道学館編集部と共有でした。座学での授業にはあまり出席せず、専ら医学図書館の編集室に籠もっていたのでした。代返を頼んでいた友人たちも、あまり学校には来ておらず、それで、出席日数が足りなくなっていたのでした。

 そんなわけで、将来は「精神科医」か「小児外科医」になりたいと漠然と考えていた進路が、「小児科医」になってしまったのでした。まあ、私の医師としてのスタートはこんな感じでしたから、あとは流されるままに流されていきました。運命の歯車がいくつも悪戯をしてくれたおかげで、現在の職業に辿り着いたのでした。以下にざっと記しておきます。

最初は小児科医を断続的に10年くらい、あいだで新生児科医を1年3ヶ月くらい、麻酔科医を15年くらい(小児科と併診していた期間が5年くらい)、救急医を2年くらい、集中治療医を麻酔科と掛け持ちで1年少々、ペインクリニック(断続的ですが2,3年)の医師、それからホスピス医を10年くらい、その後はずっと緩和ケア医、これはもう20年になりますね。小児科、麻酔科、救急部、ペインクリニック、ホスピス、緩和ケア病棟と、かなり渡り歩きました。

 勤務した病院も、佐賀医科大学小児科、佐賀県立病院「好生館」小児科、唐津赤十字病院外科(麻酔科)、国立小倉病院(現在の小倉医療センター)小児科(兼新生児科)、佐賀医科大学麻酔科、大阪の淀川キリスト教病院救急部(兼集中治療部兼小児科)、大分県済生会日田病院麻酔科、佐賀医科大学麻酔科(大学院)、栄光病院ホスピス、木村外科病院ホスピス、村上華林堂病院ホスピス聖路加国際病院一般内科兼緩和ケア内科、ピースハウス病院ホスピス北九州市立医療センター緩和ケア内科、独立行政法人旭中央病院緩和ケアセンター、田川市立病院緩和ケア内科と枚挙にいとまありません。17回の転勤を繰り返してきました・・。

 それでも、卒業当時、他にも私を誘っていただいた教授は4人おられました。精神医学教室、循環器内科学教室、脳外科学教室、それに法医学教室でした。中でも循環器学教室の某教授は、「小早川君、君は成績はともかく人物的には優れている。教授は無理にしても医局長にはなれるだろう。」と仰いました。また法医学教室の牧角教授は、「小早川、君のやっている九大医報はその方向性には問題があるが、編集手腕は優れている、どうかね、法医学教室に来てくれたら助教授にはなれるよ。」と仰いました。私は「先生、でもどうして助教授なのでしょうか?」と伺いますと、「ああ、それはだね、教授は私だからだよ。( ^o^)」と仰いました。先生とは日本酒を飲み交わしていただき、面白いエピソードをたくさん教えていただきました。そのまま法医学の道に進んでいたら、シャーロックホームズのようになっていたのかもしれませんね。

 ああ、それから日本東洋医学会認定の専門医でもありました。鍼灸の道を探求し、終いには佐賀県鍼灸協会から教えを請われたこともありました。自分で言うのもおこがましいのですが、「天才的に優れた鍼灸師」だったと思います。

 各学会の認定医や専門医、指導医など、各科でたくさんいただきましたが、それも還暦をむかえてからは全て更新しないことにしました。おかげでスッキリとした気持ちです。

今では、医師免許証だけ。働き方も、ユックリのスローペースにしています。これからも倦まずたゆまず、医師という仕事を続けていきたいと、そう思っています。

趣味は映画を観ること。今はコロナ渦で、映画館にはあまり行けませんが、主にApple TVやNetflixなどで視聴しています。

ピアノの演奏やオカリナの演奏が好きです。Jazzが大好きです。ピアノでジャズ譜を弾くこともあります。

Macが大好きで、Apple Store 天神に足繁く通いました。その前は天神地下街にあったSonyショップでSONYのデスクトップPCを購入していましたが、そのお店でMacを販売し始めてからはずっとMacばかりです。最初の頃、Macintosh Ⅱを購入しましたが、今思えば数十万円したのに、できることはかなり限られていました。それでもプリントアウトした文字の綺麗さに感動したものです。それからPowerbookシリーズにのめりこみましたね。

 今は、仕事場に2017年製のPowerbook Pro 15インチがあります。自宅の書斎には、2014年製のiMac 27インチ 5Kがあり、最近これにM1チップを搭載した2021年製のiMac 24インチが加わりました。自宅のリビングには、M1チップ搭載の2020年製のMacbook Air 13インチがあります。ソファに腰掛けて、作業をするには丁度良い大きさで、重宝しています。他には、iPad Pro とiPad miniがあります。こちらはほとんどネットサーフィンをしたり、メールを確認したり、kindleで小説を読んだりと軽い感じの作業に使っています。これからも魅力的なAppleの製品が出てくることでしょうから、買い換えていくことになりそうですね。

 あとはiPhoneですね。基本的には初代からずっとiPhoneですが、一時期Androidになった時期もありました。でもやはりAppleが使いやすいですね。すぐにiPhoneに戻りました。

 総じて、ガジェットが大好きだと思います。

2023年4月22日 追記

 緩和ケア病棟が4月3日に開設されました。月曜日から木曜日まで、朝から晩まで、もの凄〜く忙しい毎日となりました。本日長男ファミリーが我が家にやってきて、「お父さん、病棟が開いてから、めっきりスリムになったね〜。いや〜良かった、良かった」ですって。

 ウ〜ン、こうなればもうそう思うことにしますか。でもね、やっぱりね、疲れすぎでしょ。