aki100mac’s blog

日頃考えていること、体験したことをブログしています。

光の子らしく歩みなさい



もうだいぶ前に、西南教会の日曜学校でお話しした内容です。

 

説教題「光の子らしく歩みなさい」

おはようございます。皆さんとはほとんど初めてお目にかかるのではないかと思います。私は、西南学院教会の会員です。小早川晶といいます。私の名前の晶は聖書に出てくる水晶からつけられました。父が、クリスチャンだったからです。聖書の中には、宝石がたくさん出てきますが、その中で水晶は「透明で清らかなもの」として、例えば、「ヨハネの黙示録」の第4章3節から6節にも出てきます。またユダヤの祭司の持つ12の宝石はユダヤの12の部族の象徴であり、後に誕生石の元にもなりました。

 父は、最初は薬剤師だったのですが、神様に出会い、牧師になろうと決心して、西南大学の神学部に入りました。今から55年くらい前のことです。その頃、干隈というところに、神学部の学生さんが入る寮がありました。私たち1家もそこに入りました。父、母、私と弟の4人です。父はアルバイトをして生活を支えながら、神様についての勉強をしました。私は保育園に通いましたが、宮崎から出てきましたので、言葉が違い、また保育園が面白くなくて、ときどきさぼっていました。あるとき保育園をさぼって「こもだ かんちゃん」という友達と遊んでいたら、牛に追いかけられて、必死に逃げたことを今でも思い出します。父の神学部の友達がよく寮を訪ねてきては、皆でぜんざいを食べたことも思い出です。大学の学園祭で、仮装行列したときには私も参加しました。西南学院大学の敷地には何度もきていました。今、1号館の横に大きなホールが建っていましたが、その当時は、建て代わる前のホールがありまして、「ランキンチャペル」という名前でした。

そこで何かの大会があったときに、まだ幼かった私は、中にはで遊んでいて、お日さまががきらきら輝いて、松の木の枝葉の間から、いい匂いのする風が吹いていたのを覚えています。その当時は、私とその家族を神様は見守っていてくださったのだなと思います。

 さて、父が大学を卒業して、最初に、福岡市の郊外の小さな教会に赴任しました。そこは信者さんが本当に少なく、教会にやってくる人は数人でした。お金も無く、両親は本当に貧しく、困ってしまいました。母は心も体もまいってしまいました。そこで、父はしばらく牧師をすることを止めなければならなくなり、郷里の宮崎に戻り、また薬剤師になりました。私は、宮崎の南にある、「日南市」というところの小学校に行きました。小学2年生の時です。その時に、ピアノの個レッスンを受けました。厳しい先生でしたが、バイエルを2/3くらい終えました。後に、大阪の病院に勤めましたが、そこの院長先生が偶然その先生の弟さんだったのです。それで、随分かわいがってもらいました。

 さて、小学3年生のときに、戸畑市という、今では北九州市の一部になっていますが、その町の教会の牧師がいなくなったので、来てくれませんかというお誘いがあり、父はまた牧師になりました。そこの教会はわりと大きな教会で、信者さんの数も数十人あり、また学生さんも多くやってきていました。毎週日曜日には「教会学校」があり、私もそれに出ていました。当時はボーイソプラノで、賛美歌の高い音もよく出ていました。そこで、「こどもさんびか」のひかりひかり という賛美歌などを一生懸命歌っていました。夏期学校では、教会や付属の幼稚園にみんなで泊まっていたことも楽しい思い出です。

さて、私は将来何になろうかと考えることがときどきありました。中学生の時に、お医者さんになろうと思いました。私の祖父が外科医で、おじさんが内科医だったことも影響していたのでしょう。中学からは教会の大人の礼拝で、オルガン奏者になりました。自分でいうのもなんですが、けっこう上手に弾けていたと思います。あるとき西南学院の院長だった「ドージャー先生」が教会に来て、私の弾くオルガンを聴きました。礼拝の後で、「君はオルガンがとても上手ですね。」と褒めていただきました。

 さて、小学4年生か5年生のときに、「自分のいのちを無駄には使いたくないな。後で振り返って後悔はしたくないな。」とそう思いました。小学校の図書室にはたくさん本が置いてあって、偉くなった人の伝記もありました。巨人の王選手の伝記や北里柴三郎という立派なお医者さんや、シュバイツアー博士、発明王エジソンの伝記などありました。私は図書室から借りてきて、そういう本をたくさん読みました。そして思いました、こんな人たちは一生懸命生きているんだなと。私も一生懸命に生きたいなと思いました。

 ですから、小さいときに、いい本に出会うこと、自分のお手本となる人に本の中で出会うことが大切だと思います。私は、中学生から一生懸命に勉強しました、そして、とても合格することが難しい大学の医学部に進み、医師の免許を取りました。

 今朝、皆さんにお話ししているテーマである、「ひかりの子らしく歩みなさい。」とは、神様に全て任せて、きらきら光る目でもって、神様に愛されるような生き方をしてください、そうすれば、自分の周りの人たちも「良かったね。」と思えるような、いい人生が歩めると思います、そういうことを皆さんに伝えたいと思います。また神様のことを知ることは全ての知識の基であり、出発点であると聖書には書いてありあります。私の父も、そのことを何度も繰り返し話していました。「あなたがたの幼い時に、造り主である神様のことを知りなさい。」と書かれています。皆さんがこうして、毎週こうして教会学校に来て、神様のことを学んでいることは、とても大切なことであり、素晴らしいことです。

将来皆さんが成長して、大きくなり、大人になったときに、じつはとても大事なことを教わっていたと、思い返すことができるでしょう。その時に後悔しないような生き方を、聖書から見つけてほしいと思います。わたしは、中学生時代、高校生時代に、何か困ったことがあると、教会堂に行って、一人でお祈りしていました。聞き届けられるお祈りもありましたし、そうではないお祈りもありましたが、しかし、そのときどきで、私に対して、神様は「ああ、あのときは判らなかったが、今になれば、そういうことだったのですね。」と思うことがたくさんありました。七転び八起きということわざや、禍福はあざなえる縄のごとしということわざがありますが、人生はそんなものです。いいときも悪いときもあります。でも、いいときも悪いときも神様を信頼して、すっかりお任せしてしまうと、不思議と気持ちは落ち着き、曇っていた目が、きらきらして、物事がよく見えて判るようになると思います。私の「晶」という名前を、私はとても気に入っています。またこの名前をつけてくれた両親に感謝しています。私の人生はまだ続きますが、水晶のように透明できらきらした人生でありたいなと、そう思います。

さて、皆さんに、このこども賛美歌から、「ひかりひかり」を、オカリナで演奏して差し上げたいと思います。

どうでしたか、これを歌っていると、何だかこころがいきいきとなり、「光の子らしく」歩もうという気持ちになるでしょう。

 

どうか皆さんも引き続き、この教会学校においでになり、大切な神様の言葉をたくさん聴いて、吸収して、すくすくと育って、「神様に愛される人」になっていただきたいと思います。これで、今朝の私のお話を終わります。

ひとことお祈りします。

神様、今朝、この西南学院教会の教会学校の皆さんにお話しをするようにと、私を用いてくださいましてありがとうございます。私たちを毎日まもってくださり、ありがとうございます。私たちが、みな、あなたに愛される子どもになることができますように、これからも私たちを教え、導いてください。この感謝とお願いのお祈りを、イエス様の御名を通して、神様におささげいたします。アーメン。