aki100mac’s blog

日頃考えていること、体験したことをブログしています。

九大医報の部室のことなど

東京 2018年4月21日 六本木の国立新美術館にて


田川医師会の会報、「田川医報」ができあがりました。私もいつの間にか編集委員の一員になっておりました。思い返せば、私が最後の編集長だった、かつての「九大医報」、1920年(大正9年)に、初代耳鼻咽喉科の教授であった久保先生が始められたのですが、最初の頃は、研究者たちの論文の発表の場であり、また文芸誌のようなものでした。斎藤茂吉や、田山花袋など、大正時代から昭和にかけて活躍していたの作家たちがこぞって投稿したものでした。九大医報の編集室は、旧九州大学医学部図書館の1階にありまして、隣が「大道出版」でした。ひとつの黒電話が壁に穿たれた正方形の穴にちょこんと置いてあり、その黒電話が鳴ると、どちらかが電話に出て、「そちらへの電話ですよ〜」と叫んでいたものです。懐かしく思い出します。そうそう、私が部室を出ると、あの「天才柴崎」先生が京都大学神経内科学教授になられる前に、フランス語やドイツ語、英語などの洋書を数冊抱えておられました。私は、「先生、こんにちは。その本をどれくらいで読まれるのですか?」とお尋ねしたのですが、「ああ、小早川君か、そうだね、そんなに急いでいないので、2,3日ですかね。どうかね、君も読んでみますか?」と悪戯っぽい、少年のようなお顔で私を揶揄っておいででした。