aki100mac’s blog

日頃考えていること、体験したことをブログしています。

オープンカンファレンスで語った緩和ケアを実践するべく、田川市立病院緩和ケア丸の処女航海が始まります。

私の父は、日本バプテスト教会の牧師でした。彼は旧熊本薬学専門学校(熊本大学薬学部の前身)を卒業し、薬学の研究者になりました。その後宮崎県立病院の薬局長として勤務したのですが、それから西南学院大学神学部に学士入学して、牧師となりました。研究熱心でして、特に英語、ドイツ語、ギリシャ語、ラテン語ヘブライ語、エフライム語(イエスの日常会話で用いられていたとされている言語)の研究に邁進しました。それで、彼の説教には、聖書の箇所を多言語で調べ尽くして、その研究結果の発表の場のようでした。
およそ、世間一般の牧師のイメージとは真反対のような、「神学者」でした。
  旧制第三高等学校(現在の京都大学の前身)出身の哲学者たちと親交があり、今から考えますと、きら星のごとくの名だたる研究者が、私の父との会話を楽しみに、よく戸畑の牧師館を訪れていました。私は、子供心に、「何だか難しいことをスラスラを、しかも楽しそうに会話しているな。とんでもなく高尚な人たちだな。どうしたらこんな研究者になれるのだろうか。」と思いました。それで、高校時代は専ら哲学書や無教会主義の新渡戸稲造先生や内村鑑三先生、キルケゴールなどの和訳された本を読んでいました。それと数学が好きでした。他にはピアノの練習、時にモーツアルトなどのソナタ、バッハの曲集などがお気に入りでした。ですから、高校を卒業するにあたって、さて、どうしようかなと思い惑っていました。
医師になるというのは、選択肢としては決して大きくはなかったのです。なんとなく東大駒場に憧れましたが、流石に東大医学部に進学できる理科三類は、ハードルが高いなと思っていました。案の定現役で熊本大学医学部の試験に落ちまして、熊本市の虎渓塾という由緒ある予備校に入りました。そこで模擬テストを繰り返したのですが、あまり勉強していなくてもそこで3番とか6番とかでした。担任の先生からは「東大の理科三類も十分に狙えるよ。」と言われまして、その気になったものです。まあ現実はそんなに甘いものではなく、2浪して自治医科大学医学部と九州大学医学部に同時に合格しましたので、結果的に九州大学に進学しました。
 私の弟が小倉高校からこれも2浪してですが、東京大学理科三類に合格し、少し回り道をして医学部に進学しました。循環器内科医となり、日赤医療センターの循環器内科で副部長、医局長などしていました。それで、私の東大コンプレックスは雲散霧消しました。
当院に勤務するまでは、千葉県旭市にあります日本で一番大きな公的病院である国保旭中央病院に勤務しました。そこの常勤医師は276名いまして、非常勤医師も同じくらいいまして、全部で40科くらいの臨床科がありました。外科系はほぼ全員が東京大学医学部出身で、一部東京医科歯科大学、内科系はこれまた全員が千葉大学医学部の出身者でした。
 そして毎年のようにそこで研修医をしたことのある医師が東大や千葉大などの関東圏の医学部の教授になるという具合でした。研修医の臨床的な実力は抜きんでていて、私も教え甲斐がありました。まあ中には生意気で礼儀知らずの若者もいましたがね。病院が医師の実力を高めていこうとする制度がたくさんありました。研修医は徹底的に鍛えられていました。そして図書室の充実度が凄かったです。そして、毎年何名もの医師たちが、アメリカやヨーロッパの超一流の病院や研究室に留学する制度がありました。短い人で3ヶ月、長い人で1年から2年各種の奨学金制度も充実し、そして一定の年限、お礼奉公をする、そんな風土がありました。私も大いに刺激を受けたことはいうまでもありません。
この「オープンカンファレンス」で私が語っている内容は、今聞き返しても、とても大事なことだと思います。これを、活字に起こしたいなと思います。これからそんなアプリを探してみましょう。私の研究心は、間違いなく、父から受け継いだ財産だと、そう思います。
私の子どもたちもそんな風に成人しているようでして、長男は九州大学医学部整形外科教室で研究しているようですし、次男は「技術士」の国家資格にその年の日本最年少で合格し、トンネルや道路設計のプロとして、建設会社で頑張っています。三男は某大手企業を袖にして、最近IT会社を設立し、「アプリ」の製作などに邁進しているようです。実はこの三男坊が私の父に気質などよく似ています。将来を期待しています。
私は、この先も、市井の医師として、地域医療の中で自己実現するべく、邁進していこうと思います。
 高校生の頃、また九州大学の教養部の頃、漠然とイメージを抱いていた医師という仕事は、とても振れ幅の大きいものだと思います。ここ田川で、仲間たちと仲良く、ワイワイとやっているのが楽しいですね。WBCの監督の栗山さんのように、「日本一」いや「世界一」の緩和ケアを目指して、理想を高く掲げて、「田川市立病院緩和ケア丸」という船の処女航海が始まります。人知を超えたところに鎮座されている神様に、宜しくお願いいたしますとお祈りします。

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