昨日、4月5日(水曜日)は、とっても驚くことがありました。いえ、その前日の4月4日、火曜日から、なんとなくこのような結果に終わることは、ある程度予見していました。というか、昨日、Aさんが、B病院のC医師からの紹介で、開院して2日目のT病院緩和ケア病棟にお見えになったとき、私がもう少し慎重に、そして決然とした判断をしていたならば、今回のような悲喜劇は起こらなかったでしょうね。
何のこと?と思われたでしょうね。いえね、以前このブログでも開陳したことがありますが、またまたやらかしてしまったのです。
ホスピスや緩和ケア病棟に入るためには、患者さんがそれを希望し、家族などのメンバーもそれに同意し、同じように希望することが大前提です。
決して、IC(Informede Cosent)説明と同意で片付けられるような問題ではないのですね。
私は、SDM(shared decision making)が医療の基本と考えてきました。
すなわち、医師は医学的な側面から患者さんや家族に、医学情報を開示し、十分な説明を行います。その一方患者さんは、その人の持つ価値感や、生活面での心配事、社会面での心配事を話します。そして両者で摺り合わせを十分にします。このことはゆるがせにできないのですね。
もし欺してホスピスや緩和ケア病棟に連れてきたとしても、玄関口で回れ右をして帰りますよ、普通は。
しかし、そのまま入院してしまいました。入院後に判ったことですが、AさんはT病院に絶対入院したくなかった訳があったのです。それは丁度1年前にT病院で長男を亡くしていたのですね。
そうした情報は、緩和ケア病棟に入るかどうかの判断をする際にとてもとても大事です。
しかし、くだんのC医師は、そうしたことを全く知りませんでした。
その上、家族が「転院する前に一度も担当の先生に話す機会がありませんでした。」と訴えていました。
インフォームドコンセントを医療現場では、「IC」してきます、とか、「IC」は済んだ?とか言っていますが、要するに医師が自分たちの医療を進めていく上での通過儀礼なのですね。
昔ながらの「パターナリズム:paternalism」そのものです。
そしてそうした間違ったdecision makingが、日本全国の病院やクリニックで営々と行われていることでしょうよ。
B病院のC医師は、「患者や家族に他の病院の緩和ケア病棟がどのようなものであるかを説明をしたのかの記載をしていない」と言い放ちました。私は唖然としました。
自分がどのようなことを説明したのか、それも全くプログレスノートに書いていない?!ふざけています。しかも電話口で笑っているのですね。私は最高に頭にきましたよ。いえね、普段はね、わたしはとても大人しい、と自己判断しています。しかしですね、そんな優しいことはいっていられないのです。
Aさんは、緩和ケア病棟で野獣のようになっています。私や看護師のねめつけます。
「おまえたちは、ここに連れてきて、閉じ込めて嬉しいのか。」
「ここには来たくなかったのに、騙したな❗とベッドサイドの机を拳で何度も何度も叩いています。」せん妄ではなく、正気に見えました。認知症サポート医の私は、認知症とも違うと思いました。もともとのキャラクターでしょうね。
ソーシャルワーカーが挨拶にいくと、殴りかかるような仕草を受けます。
急性せん妄とかそんなものではないのですね。絶対入院したくなかった私たちの病院に、強制的に連れてこられたのですから、それは至極当然なことに思えました。
それで昨日朝一番で、B病院のC医師に電話したのです。そして、こう言いました。「あなたは、患者さんに説明したことをプログレスノートに何も書いていないというのですね。そしたら、あなたが患者さんに、何度も説明したというが、それが本当かどうか、私には確かめようがありません。申し訳ないですが、これからこちらに来て貰い、患者さんにもう一度説明してください。無理でしょうか?」すると、その医師は「無理ですよ、私には業務がありますから。」と。そこで私は言いました。「そうですか、でもね、あなたはあなた1人の業務でしょうが、私たちの緩和ケア病棟では、朝から大声をあげ、暴力的な言動をしているAさんへ対応で、病棟まるごと業務ができなくなっています。もう一度頼みますが、できないですか?」するとC医師は笑いながら「できませんよ、できるわけないです。」と拒否しました。
私は「そうですか。そちらがそのような態度でしたら、わかりました、これからB病院のM病院長は大学の同級生だったと思います。あなたがあくまでそのような態度でしたら、あなたの科の部長や病院長に話しますがそれでもいいですか?」と言いました。そのあとも不毛の会話は続きましたが、このあたりで止めます。
結局、奥さんや姪ごさんに来て貰い、話し合いの結果、その日のうちにB病院に戻ることになりました。緩和ケア病棟から車椅子でエレベーターに乗り込むとき、Aさんは、満面の笑みを浮かべていました。私が「良かったですね、これでB病院に戻れますね。」と言いますと、「お世話になりました。」と。そうでね、大いにお世話しましたよ。
しかしながら、この事案はいい影響をもたらしました。
以前から、九州がんセンターの緩和ケア依頼書はよくできていると思っていましたが、今回のことをきっかけに、田川市立病院バージョンを創りました。
まだ一般公開はできないのですが、九州がんセンターのものは一般に公開されていますので、このブログに沿えておきますね。
私たちの病院の緩和ケア依頼書には、「医師が患者に病状をどのように説明したか、緩和ケアについてどのように説明したか、具体的に記載してください。」の欄を設けました。少なくとも数行から10行はタップリと記載できるように。同じく「医師が家族にどのように説明したか、緩和ケアについてどのように説明したか、具体的に記載してください。」の欄を新たに設けました。今は、当院の緩和ケア病棟への入院依頼書は、この形式で動いています。
それでも、全く記載してこない医師がいます。その場合には記載を促しますが、それでもダメであれば、緩和ケア内科外来への受診そのものを見直します、具体的にはこちらでキャンセルしています。
医師の意識改革が必要です。ICではなく、ましてムンテラなど、もってのほかです。
shared decision makingをしてくださいね。そして難聴であれば、必ず紙に大きく書いて説明し、その紙を手渡してください。医療の常識だと思いますが。