aki100mac’s blog

日頃考えていること、体験したことをブログしています。

人には定まった時があります。寿命があります。看取り看取られる時があることを理解しましょう。

変な家族への対処マニュアル、無いですね。

田川市立病院、緩和ケア病棟のある6階、煌々とした灯り、午後9時

今日の緩和ケア内科外来、いつにも増して波乱でした。いつもは温厚な筈の私が、患者さんのことで、声を荒げてしまいました。

 いつものように午後2時から始まりました。3時に予約が入っていた人は、もうすでにお亡くなりになっているとかで、キャンセルされました。

その前に、某老健施設に入っていて、この前から塩酸モルヒネ持続皮下注射を開始していた男性が「苦しがっています。」との報がありましたので、朝、緩和ケア病棟の回診を始める前に、訪問看護師さんの運転する軽自動車でその施設に向かいました。

 「Aさん、判りますか?」⇒「うん」と首肯あり。「痛みはありますか?」⇒「イエ、ないです。」と辛うじて聞き取れる。「息は苦しいですか?」⇒「はい」 「昨日の夜は睡眠薬を注射で打って貰ったので眠れましたか?」⇒「はい」 「今朝ですが、今も眠っていたいですか?」⇒激しく頷く。・・・

 Aさんは明らかに時間単位の余命となっています。

「Aさん、目は見えていますか?」⇒「いいえ」と首を横に振る・・。

そこで、ご本人の希望の通り、ミダゾラムという睡眠薬の一種を皮下注射で使うことになりました。弟さんがいて、あらかじめ睡眠薬を使って鎮静し、最期の身の置き所の無い苦痛を緩和することの同意書にはサインを貰ってあります。

 そこの施設には昼間は看護師さんが常駐していて、もともと私たちの病院で外来師長をしていた人です。最近私が出版した「緩和ケアの臨床」という小冊子を携帯しています。

 勉強熱心な看護師さんです。

数日前から日中は適宜セデーションし、夜間は介護士だけになるため、0.4ml/時で持続皮下注射を開始していました。

 痛みは塩酸モルヒネセレネース、それに吐き気止めのヒベルナを混注して、行っていましたのでありません。

 凄く痩せてきています。まだ下顎呼吸は始まっていませんが、時間単位で始まります。

弟さんたち親族に連絡してもらい、看取りのために付き添って戴けるようにお願いを依頼しまして、病院に戻りました。

 今朝も様々な問題を抱えた患者さんのもとに伺います。短い人で5分から10分、長くなりますと20分くらいはかかります。

 ソーシャルワーカーが常在していないので、自宅や施設への退院、経済的なこと、家族間のトラブルなどあればその都度中断し、担当のソーシャルワーカーに連絡して来て貰います。その間の時間が勿体ないですが、仕方ありません。

 とにかく人が足りません。

医師も私1人ですから、どう頑張っても8人から10人が限度です。しかも在宅、施設での看取りまで担当していますから。

 薬が切れる人、新たに始める人の内服薬を処方し、注射薬を処方し、そんなこんなであっという間に午前が終わります。緩和ケア病棟では、毎日のように処方がかわりますし、注射薬の中身の微調整をしないといけません。

 がん末期の症状緩和は、それくらい神経を使います。まさに朝令暮改の日々が続いていきます。最初の2,3日が大事です。そこを過ぎますと、一定期間同じ注射の内容でも構わないときうところまで持ってくるのが大変な作業になります。

 このあたりのことは実地で修練する必要がありますね。例えば外科医が先輩から手技を教わるような真摯な気持ちで取り組むことが基本になります。

 緩和ケア病棟のルーティンの作業が無事終わりました。

そしてあの外来が始まりました。ある病院から「BSCの方針です。遠隔転移はありません。・・・」として紹介されてきたその患者さん、紹介医の見立てとは大違いで、あちこちに転移がありそうでした。

 2週間前に新患外来をしたのです。

総合病院でちゃんとした施設でしたので、信頼していました。

「遠隔転移はありません」という触れ込みだったのですが、本人は「全身が痛い」と言っているのに、出されていたのはカロナールの錠剤の頓用だけ・・

 まあ、診療情報提供書を記載してからしばらく経っていましたから、その間に病状が進んだのでしょうね、そう思うことにしました。

 そこで、内服での医療用麻薬等、もろもろの薬を処方して、2週間後の再来だったのです。

再来したその患者さんの奥さんは、「先生が出してくれた薬を飲むと、いいのですが、次の内服までの間で痛くなるので、頓服の薬(オキノーム散)もよく飲んでいました。今日も家を出るときに飲みました。・・」とのこと。

それは良かったのですが・・。

最初の外来時、あれほど、家族全員の同席を求めていたのにも関わらず、長女である「学校の先生」は来ませんでした。関わっている家族や友人、知人など、できるだけ多くの方が一同に介さないと、本当はどうであるのか、真実が見えてきません。

 今回は絶対に連れて来て下さいね、と奥さんに再度頼んでいました。

そこでやってきました。しかし、しきりに時計を気にしています。こころここにあらず。

そして、お母さんに、こんなことをしきりに言っています。

「もう、忙しいんだから、すぐに学校に戻らないと・・・」と。

私が、病状の説明をしている最中ですよ。考えられません。

お父さんがもうすぐ亡くなろうとしている、その事態の重要さを判っていないし、判ろうともしていない、そんな感じだな、と思いました。もう私の堪忍袋(とっても小さいのですがね・・)が切れかけました。

 さて、事前に血液検査をしておいたのですが、その数値があまりも異常でした。

どうしてこんなに肝機能が落ちているの? 腫瘍マーカーがこんなに上がっているし・・

アルブミン値が2.7しかない・・ChEが正常では400以上ないといけないのに90しかない・・ 全身が明らかに病んでいます・・息も苦しそうです・・まともに仰臥位になれないくらい背中や腰が痛いと訴えています・・体重が急激に落ちてきています・・明らかに癌性悪液質の様相を呈しています・・

 余命はもう短い週単位でしょうか・・あるいはッ日にち単位でしょうか・・

紹介してくださった病院から提供されたCTを焼いたCDRでは骨盤の臓器しか観られない・・

お父さんは、腰や背中の痛みを訴えているし、明らかに骨への転移、肝転移や肺転移がありそうなのに、その画像データもない・・あとで判ったのですが、3月にその病院で胸、お腹、骨盤のCTをしていたのでした。

 私は「すぐに送ってくれるように、◎病院に依頼してください。」と当院の連携室に頼みました。

 情報を小出しにしないでいただきたいのです。緩和ケアというと、紹介を簡単に済まそうとする医師がたくさんいます・・。ホスピスや緩和ケアを「何もしないところ」「もう死ぬのだからこれくらいの情報でいいでしょ」なんて絶対に思わないでいただきたいのです。

 そこで、私は、院内PHSで放射線科部長に依頼して「緊急CT」を撮りました。彼は「判りました。すぐに撮ります。放射線科に降ろしてください。」と。

結果は、私が考えていたものでした。放射線科医の緊急読影が出る前に、私が自分でCTの画像を読み解きました。その結果を説明していたのでした。あとで放射線科医の読影結果報告が出ましたが、私の読みと全く同じでした。

 以前「緩和ケア医の読み解く画像診断」というテキストを書くように東京の某大手出版社から依頼されたことがありますが、これまでずっとお流れになっていたのです。

私の読影は、緩和ケアの現場でとても役にたっています。ちょっとだけ自慢しておきますがね・・

 さて、「お父さんはトイレに入ったら30分は出てきません。」「うんうん唸っています」とお母さんが言っていましたが、やはり直腸の周りの組織に、また膀胱に接した部位にも大きな転移がありました。よく聴いたら「うんこが出るときは飛び上がるほど痛い」のでした。

 そこで、画像を見せて、「これから専門的な緩和ケア、本物の緩和ケアを受けて戴きますが在宅では開始できないために、緩和ケア病棟に入院していただく必要があります。」と説明をしようとしたその矢先、その娘が言い放ったのは「先生、もうこれ以上説明をするのをやめてください。先ほど説明したのでもういいです・・」でした。

 とんでもないです。私は言いました。「あのね、ここは学校では無くて病院なのですよ。

私が病状説明するのを邪魔しないでいただきたい。あなたが聴きたくないのであれば退室してください。診療の邪魔はしないで下さい。出てください。」と言いましたね。

 私は、これまで私の親戚も含めて、ホスピスや緩和ケア外来で、「医学的な常識が通用する教師」に出会ったことがありません。中にはいらっしゃるのかも知れませんがね。

私の義理の妹も昔教師だったのですが、「お兄さん、私もそう思うわ」です。更にその夫は某大手の銀行マンだったのですが、「お兄さん、お兄さんには申し訳ないが、医師も相当変なのが多いのですが、彼らは自分たちは世間的なことには疎いという自覚がありました。でもね、教師は最悪でした。彼らは自分たちが正しいと思い込んでいますからね。お兄さんも苦労しますよね・・」と、これまで何度も何度も同情されてきました。

 話を戻しますと、その患者さんは入院して、モルヒネ持続皮下注射、ケタラール持続皮下注が始まりました。夕方訪れて、「どうですか、少しは痛みが軽くなりましたか?」と訊ねましたら、「はい、先生だいぶいいです。でもまだすこし腰に痛みが残っていまして、身体の向きを変えると痛みます・・でも先生軽くなっています、ありがとうございました。・・」と笑顔でした。私は、アアセトアミノフェン[注]の点滴静注と2%キシロカインの点滴静注の指示を出していましたが、眠る前に実施しようとしていた担当の看護師さんに、今実施してね、と再度確認しました。おそらく、腰椎や腸腰筋などへの転移があるものと推測しています。

 午後7時が近づいた時、私の携帯が激しく振動します。当院の訪問看護師からの緊急連絡でした。「先生、すみません。あの施設の介護スタッフから、呼吸が止まったっぽいと連絡がありました・・」と。呼吸が止まったっぽいとは、そもそも日本語なのでしょうか?

 それはともかく、行きました、私のクルマで。死亡確認しました。死亡診断書を作成しました。ご本人は精一杯がんと向き合い、闘い、そしてあの世へ旅立ちました。

 つい2週間前には「先生、痛みが消えて、今はこうして好きなアイスを食べています。」と笑顔でテレビを観ていました。弟さんたち親族から、「先生、本当にありがとうございました。お世話になりました。本人も喜んでいました・・」と感謝の言葉をいただきました。夕暮れの中、病院に急ぎ戻りました。

 これから木曜日の外来受診者の予習です・・午後9時、緩和ケア病棟には、煌々と灯りが点っています・・ さて、今日は終わりましょう。また明日、ですね。