aki100mac’s blog

日頃考えていること、体験したことをブログしています。

小早川晶方式がん性疼痛緊急治療法で痛みがゼロになり、生活を楽しむ余裕が生まれています。

緩和ケア病棟の心優しい看護師さんたちが描きました。

某病院から紹介されて、私たちの緩和ケア病棟に入られ、「全身が痛い」と泣いておられたAさん、愛するWife 、Daughterとともに、1週間生活されておられます。前の病院では、酷い痛みに対して、カロナール錠の頓服しか出されていませんでした。痛みをちゃんと評価していなかったですし、そもそも患者さんの「痛い」という言葉をまともに取り上げていなかったのです。

 患者さんの痛みをちゃんと評価していなかったのは医師だけではありません、その病院の看護師もそうでした。

 そこは大きな総合病院ですので、緩和ケアチームがあることを知っています。でも、あるだけで、ちゃんと機能していないと言わざるを得ません。

「(NRS)10以上痛くて痛くて死にそうです、殺してほしい。」と呻いておられたのですが、「小早川晶方式がん性疼痛緊急治療法」で、転院されたその日のうちに、「痛みが消えましたありがとうございます。」と顔をくしゃくしゃにして喜んでおられました。

1日が30時間だったり、10時間だったりしていますが、とりあえずは「痛みはゼロ、全くありません。」と屈託無い笑顔です。

 今ではお風呂を楽しんでいます。「身体を動かしても痛みはありません。」と。Wifeは、「ここに来て先生に痛みの治療をしてもらえました。すぐに痛みが消えて、笑顔が戻りました。ここに来て良かったです。」と感謝されました。

 今は、大きな液晶テレビで、大谷翔平さんの特大のホームランも楽しめます。好きな映画もご家族で思う存分観ておられます。一家の団らんが戻ってきました。

  そして、今週土曜日には、結婚53周年のお祝いが待っています。

当院の緩和ケア病棟で、最初の「イベント」になりますね。

緩和ケア病棟のスタッフ全員でお祝いできるといいですね。

おめでとうございますお二人に、またご家族に幸多かれとお祈りします。

 それにしてもです、がん性疼痛治療には、段階を踏んで、ゆっくりと対処できるタイプの痛みに対する治療法もあります。他方、とんでもない痛みが襲っているときには、私が編み出した「小早川晶方式がん性疼痛緊急治療法」で、できるだけ早く痛みを消し去る努力をすべきです。

 よくあるのが、今は夜だし、朝が明けてから、上司とも相談をして、それから考えればいい、と痛み治療を先延ばしにすることです。

 とんでもない痛みに襲われている患者さんの「今」に対処する気がないのです。「今そこにある痛み」に対処できないようでは、「医療者」として失格です。厳しいことをいうようですが、夜中痛みに苛まれる患者さんを見捨てているのと同じです。

 それと、医師にありがちなのが、自分の専門分野に拘り、患者さんの「今」を看ていないことです。例えば消化器内科の医師が、「モルヒネを使うと消化管の動きが妨げられて便が出にくくなる。それはまずいので、消化管に比較的影響が少ないフェンタニルにしよう。」と断定してしまうことです。

 あと1,2日で臨終を迎える臨死期の患者さんにとっては、「消化管を動かして便を出すこと」がその時点、「今」を生きている人への対処法ではないはずです。「今」は、癌末期で、「身の置き所のない苦痛」に喘いでいる患者さんの、最期の苦しみにすぐに対処すること、それこそが必要なことです。

 そして、WHOの「緩和ケア」についての定義を忘れている、あるいは知らないことです。

日本ではPEACEといって、「医師への緩和ケア初期研修プログラム」を受けることが義務化されています。

そこで、勉強している筈なのですが、1日の研修が終われば、もう忘れてしまっています。多くの医師にとって、あれは単なる「通過儀礼」に過ぎないのでは、そう思ってしまうくらい、臨床の現場では、「あなた、ちゃんとPEACE受けました?」と訝しみ、落胆することが多発しています。

「緩和ケア」の定義には、なんと記載されていますか?

 あらためて「緩和ケアの定義」を私の最近の著書「老いの緩和ケア」から引用してみます。

『The goal of palliative care is achievement of the

Best possible quality of life for patients and their families.

 緩和ケアの目的は、患者と家族の可能な限りの最良のクオリティ・オブ・ライフの達成である。(私訳)

 Palliative care affirms life and regard dying as a normal process;neither hastens nor posptones deatsh;provides relief from pain and other distressing symptoms;integrates the psychological and spiritual aspects of patient care;offers support system to help patient to live as actively as possible until death;and offers a support system to help the family to cope during the patient`s illness and in their own bereavement.

                                                      WHO

 緩和ケアは生命を肯定し、死を自然の過程とみなし、死を急がせることもせず、延ばすこともしない。

 疼痛や他の不快な症状を緩和し、精神的なケア、スピリチュアルなケアもその中に包括される。

 患者が死ぬときまで、できる限り活動的に生きることができるようにサポートし、彼らの家族に対しても、患者の闘病期間中はもとより、死別後も家族が悲嘆を乗り越えられるようにサポートしていく。

                                    WHO(世界保健機構)私訳

・・緩和ケアはend-of-life care(エンド・オブ・ライフケア)において、普遍の力を発揮しているのです。』

 人生の最期の段階で、がんなどに蝕まれてしまった身体が発する苦痛を最大限に緩和してこそ、BST(Best Supportive Care)であり、Palliative Careなのです。

 「痛みの治療の変更は明日にしよう」とか、「消化管を動かなくするのはまずいので、痛みは緩和できないかもしれないが、フェンタニルにしておこう。」などと考えては、それこそまずいのです。

 「今何が患者さんにとって必要なのか?」それを考えることこそが、「マインドフルネスにある深い気づきと臨床的調和」を唱えるwhole person careの出発点です。 

 私は、こういった臨床的なヒューマンエラーは現状維持バイアス認知バイアス、自信過剰バイアスなど、いろいろなバイアスが私たちにあることを素直に認めて、ではどうすればいい

のか、虚心坦懐に自らの至らない所に思いをいたし、そして仲間と共に前に向かって進んでいく勇気が必要だと思っています。

 私が編み出した「小早川晶方式がん性疼痛緊急治療法」の具体的な事については、今後勉強会などで開示していきます。乞うご期待。

さて、今日はこれから戸畑高校28会の同窓会が小倉であります。平成17年、2005年6月11日、ホテル京阪で、戸畑高校を1970年に卒業して35年の同級生が集いました。

 その記念誌が今手元にあります。その巻頭言の中で、「・・この京都大会で同窓の仲間が“今生きる喜び”を心と体で感じ取ってもらえる感動の場になれば、これ以上のことはありません。(当日のパンフレットからの抜粋)」とあります。

 そうなのです、「今生きる喜び」を、届けることが、私たち医療者にはとても大切ですし、それが私たちが医療者になったきっかけだったのではありませんか。

 自分の専門分野だけに思考を留めず、もっと広く、大きく、高く、自らの頭で考えていこうではありませんか。

 Let` Go❗