aki100mac’s blog

日頃考えていること、体験したことをブログしています。

秋も深まってきました。

今日は2023年11月23日です。午後12時は過ぎたところです。これから西南学院大学で、講義です。講師控え室の外のケヤキがすっかり色づきました。空気がひんやりして冷たいです。年の差50才くらいの若い学生さん達にいまだに教えることができているのが不思議な感じですね。もうすぐ70の大台に乗りますので、西南学院大学での非常勤講師の仕事は終わります。これまで色々な思い出があります。緩和ケアについて、学生さん達に紹介できたのではないかなと思います。この景色もこれで最期ですね。ありがとうございました。

映画「埋葬」を観て

福岡市総合図書館映像ホール「シネラ」で上映されました。

福岡市総合図書館の映像ホール「シネラ」で、今、EUフィルムデーズ2023が開催されています。主催が、駐日欧州連合代表部、在日EU大使館・文化機関、福岡市総合図書館です。後援がウクライナ大使館です。現在ロシアによる原子爆弾の威嚇がなされています。もしも、本当に彼らがそんなことに及べば、ヨーロッパが亡ぶだけではなく、NATOの同盟国であるUSAも巻き込む世界大戦となってしまうでしょう。
 この映画のラスト数分で、ソビエト連邦が行った水爆実験の映像が流れました。投下された地球の一部は、今もそれから今後数百万年も死の土地です。チェルノブイリ原子力発電所の原子炉の入った建物は、石棺と称する構造物で外側を被っただけですから、今後数十年で人類に死をもたらす放射線がまき散らされることでしょう。
 私は、この映画は、もっと広く世界中の人々に見られなければならないと、強くそう思いました。
 都合の悪い真実に蓋をしただけでは、これから先、私たちの子どもや孫、さらにその先の子孫の安全を保障できません。
  為政者の詭弁はもうたくさんです。放射能の利用は、医療現場だけにしていただきたいですね。
 東日本大震災の際に、東北は被爆しました。私は郡山美術館に3年前に数度訪れてましたが、その都度、放射能汚染された土を削り、どこかに保管するために袋詰めされた構造物が至るところに置いてあるのを目にしました。あれは、ぞっとする光景です。
 人類は、厄介なものを生み出してしまいました。ただの産業廃棄物とは事なり、これから先数百万年たっても放射能を放射し続ける高度放射能廃棄物、これの処理技術はまだまだ確立されていません。結局の所、地中深く埋めるしかないのですが、日本は地震国で、至るところに断層が走っています。もし、埋めたところの地層が数十年後、数百年後、数千年後にズレてしまえば、埋めた放射能廃棄物の覆いが破れてしまい、日本人に放射能被曝を起こすのです。
 福島の原発の被災で、日本人は大きなショックを受けた筈です。まだあれからそんなに時間は経過していないのですが、もう原発の怖さを忘れてしまったのでしょうか。それに、炉心に使った放射性物質の処理技術は、全然確立されていないのです。これを疎かにしていて、原発を再稼働させるのは、とうてい納得できません。
 原子爆弾や水爆を使った戦争がたとえ起こらなくても、人類は原子力発電からでる高濃度、あるいは中濃度や低濃度と分類されてはいますが、結局数万年、数百万年以上も人体に有害な放射線を出し続ける廃棄物の呪縛からは逃れられないのです。
 人類は、本当にやっかいなものを生み出してしまいました。これを今後どうするのか、地球温暖化の問題と双璧の問題です。今後人類はエネルギー源として、安全なもの、原子力以外のものを開発する必要に迫られています。

私の夢


西南学院大学人間科学部社会福祉学科で、今年の秋冬に、2年生から4年生に向けて教えます「医学一般Ⅱ」の講義のテキストに、選びました。
 昨年から読んでいますが、素晴らしい内容です。
無味乾燥になり勝ちな医学の講義ですが、この方の語る医学は、医師や看護師ではない、一般の方々に向けて、認知症やがんなどの話題も織り交ぜながら、退屈させない内容です。皆さまにも自信をもってお勧めいたします。(*^。^*)
 以前、慶応大学からの出版で、東洋医学に関する論文を発表させていただきました。その際のスマートなやり取りを思い出します。流石に慶応大学は、ひと味違います。また、メルボルンホスピスの視察に赴いたとき、市内で一番高いタワーのレストランで偶然慶応大学病院の看護師さんたちと遭遇しまして、彼女たちもまたホスピス視察で来ていたのですが、一緒に食事をしましょうということになりまして、和気あいあいと、仲良くなったことも思い出します。
 ただ、いまだに、緩和ケア病棟ができたという話は聞いていません。
 メルボルンでは、カリタス・クリスティというカソリックの団体がありまして、彼らはメルボルン大学医学部緩和医療講座と協力して、県立病院の中に緩和ケア病棟を、また少し離れた峡谷に近い高台にホスピスを造って運営していました。そして、ホスピス・緩和ケアの研究所、教育センターも運営し、世界中から研究者や大学院の学生、また医学部の卒前教育、そしてクリニックの医師へ向けた卒後教育を推進していました。そして、これが肝心なのですが、地域のボランティアのリクルートも熱心に行っていました。
 そのような夢のような施設は、日本では望めませんが、いやなに、最近ではZOOMもありますしね。まだまだ諦めてはいません。(*^。^*)🛫

装丁が美しく小さな本が大好きです

10年くらい前までは、こんな素敵で小さな本が、それこそ高取商店街の小さな小さな街の本屋さんを覗くと見つけることができたものですが・・今はもうそんな小さな本屋さんがほとんど消えてしまいました。残念です。東京にたまに行きますと、そんな小さな本屋さんが残っていたり、または若い人が敢えてそんな本屋さんを新規に開店したりしています。福岡でも、そんな文化が欲しいです。この本はたまたま博多`KITTEのREC  COFFEEで、前から欲しかったVARISTA用の電気ケトルを思い切って購入しましたが、その時にお店の向かいのHMVで、これもたまたま見かけた本です。私は、こんな体裁で、こんなような表紙の本が大好きです。ですので、自分でもそんな本をいつか作ってみたいと思います。小さな本屋さんに小さな本ばかりを集めたお店、今私がやってみたいコンセプトですね。

 

私の心臓と弟とお墓

私と弟
最近、心臓に違和感を覚えていました。ときどき動悸がし、5月の連休明けから、血圧も188/110などとベラボーなことに、一時期なりまして、これはいかんな〜と思いました。
 数年前まで東京広尾の日赤医療センターで、循環器内科の副部長でかつ日赤医療センター全体の診療統括副部長だった、心カテ、インターベンション治療というそうなのですが、日本でも指折りの専門家である弟に観てもらいに東京まで参りました。
 血液検査から始まり、胸部X線写真、心エコー、上腹部エコーまで、一通りの検査を終えまして、その結果、「兄ちゃんの心臓は大丈夫、僕があと10年は問題ないと保障します。」と太鼓判を押していただきました。
 私が循環器だけでは無く、最先端医療のスペシャリストと認定しているゴッドハンドにそう言ってもらえ、本当に良かったです。
 あと、内科的な診察もしてもらいましたが、「内臓もどこも異常ないよ。血液検査でも中性脂肪コレステロール、ALTなど肝臓や腎臓など、特に異常はないですね。
  BUNが20.4と僅かに高いけど、夏場で暑いので、水分はよく取ってくださいね。それくらいかな。心臓に少し脂肪がついているけど、これくらいは正常範囲内です。肥満でもないし・・。ああ、そうだ。エコーで確認したから本当はしなくてもいいのだけれどもね、僕は聴診器を当てているので、聴いてみるね。うん、大丈夫。」とのことでした。
「たぶん、忙しすぎて、PVCか何かの不整脈が出ていたんだろうね。それよりも、兄ちゃんの心電図が僕のとそっくり同じだったのには驚きました。」と、あと10年は臨床医として働けるとのご託宣でした。
2024年からの医師の働き方改革法案では、私はB水準に該当する病院に勤務していますが、それでは時間外労働は月100時間未満と決められています。
 私の場合は、月曜日から木曜日までの勤務ですが、毎日20時から21時、時には22時まで働いていました。
 ちゃんと計算してはいないのですが、合計すると60時間から70時間の時間外労働だったことになります。一見すると100時間未満だから良さそうですが、私以外誰も居残っていない病院を後にするとき、かなりの疲労感を覚えていましたね。
 今度の受診で判りましたのは、器質的に異常は無くとも、毎日毎日疲れるまで仕事をしてはいけない、ということですね。
 夜は、丸の内に最近新しくできた、三菱グループのピカピカのビルで、イタリアンを一緒にできました。
 弟は小倉高校を出るまでは戸畑の教会の牧師館にいました。浪人を東京の駿台予備校特待生で過ごし、東京大学の理科3類へ、そして医学部に進学しましたが、喫茶店のマスターなどいくつかバイトを掛け持ちして、医学を修めました。東京に戸建てを建てて、40年は東京で生活しています。実家は牧師館でしたが、いまはもう教会も牧師館も跡形も無く取り壊されて、民間の住宅になっています。
 牧師夫妻だった両親は天国に召されています。もともと日本の牧師というものは、普通はこの世に自己所有の持ち家はありません。弟が帰る、そうですね日本式にいいますと、実家はありません。来年あたり、私のいるこの田川に遊びにおいでと言ったことでした。
 一昨日の晩は、戸畑で過ごした日々を想いだしながら、和やかな時を共有できて、本当に良かったです。来年の再会を約して、丸の内をあとにしました。
 レンタカーを成田に返し、新しくなった成田国際空港で、飛行機を待っていましたら、「今日お墓が完成しました。納骨はいつにしましょうか?一週間前までにご連絡ください・・」との電話がありました。
 やっと完成しました。近いうちに両親と伯母の遺骨を納めに行きます。これで肩の荷がだいぶ軽くなります。家は無くとも、日本では、亡くなった人の遺骨をどこかには納めなければなりませんからね。どのみち死んでしまったら家なんて何の価値もありませんが、お墓は、それを継ぐ者がいればの話ですが、必要ですね。
 これも、両親からのプレゼントかな。

緩和ケア病棟のクラークさん、実はとても大変な仕事で、とても大事な存在です。夜道を照らす月のように。

今日も一日頑張りました。私もですが、緩和ケアのクラークさん、八面六臂の大活躍です。
 新患外来の準備、ご本人ご家族への聴き取り、各種書類へのサインを促し、緩和ケア入棟依頼書の案内とサインをいただき、そしてその間にも他院からの問い合わせが絶え間なくあります。その一つ一つに丁寧に受け答えし、入院している患者さんのご家族の面会(当院では新型コロナ感染症には最大限の警戒を解いていません。)のやりくり、交通整理、そして院内各部署とのやりとりがなど、絶え間なく続きます。
 いつもテキパキと、相手に不快な思いをさせずに、しかし、言うべきことはしっかり伝え、齟齬を来さないように気配りをすることは、並大抵の秘書では務まりません。その上に、緩和ケア病棟ならではの各種統計作業、PCへの患者情報の打ち込み、毎日の患者さんの情報シートの更新、緩和ケアチームの要望への対応など枚挙にいとまありません。
 大変な作業であり、気を遣う仕事だと思います。今は得がたい人材だと思います。
最初にも書きましたが、もう少し言葉を紡いでおこうと思います。
緩和ケア病棟のクラークさんは、片手間では務まりません。専属でないといけません。気が利いていて、当意即妙、芯は強くて伝えるべきことはしっかり伝えるが、相手に不快な思いをさせないような気配りも必要です。その上にPCの技術も要りますし、毎日の患者情報シートの更新、他所の病院やクリニックとの情報のやりとり、患者さんへの面会の交通整理、緩和ケアチームや院内各部署との折衝、緩和ケア病棟での勉強会や市民公開講座の準備と当日の受けつけ、オンラインで発信している各種の勉強会の準備と当日のホストPCの操作やクレームなどへの対応などなど、もう枚挙にいとまがありません。いわば、緩和ケア病棟がちゃんと機能するために無くてはならない重要でありかつ誰でもはできない仕事なのです。
このことを理解しているスタッフがどれくらいいるのでしょうか。私は、この仕事は現場で覚えることも大事ですが、やはりセンスがあって、この仕事に対しての心構えと覚悟がいると考えています。
  今日の新患外来の方が、そのまま入院しました。症状緩和と並行して、山の麓の自宅の環境調整を行い、早ければ月曜日にでもご自宅へ戻してさし上げます。その後は当院から片道ギリ15kmの距離ですが、訪問看護と訪問診療を開始します。
 とても忙しかったので、本当は夕方に七夕会をささやかながら、私のピアノとオカリナでする予定だったのですが、お流れになりました。でもその練習を聴いていた患者さんが、『楽しかった。」と仰っていただけました。
 緩和ケアの医師、スタッフ冥利に尽きますね。
今夜は月灯りがあり、星々も顔を出しています。静かです。トンボが飛び、虫が鳴いています。
 明日は雨だそうですが、酷く降りませんように。
皆さま、お休みなさいませ。いい夢を観てくださいね。

夢を、夢のままで終わらせたくはないですね、ならば・・

お早うございます。日本では、今日は2023年7月5日、水曜日です。田川市は梅雨空です。ドンヨリとした空模様です。

 仕事場に着きました。始業までの時間、自分の机の中の、筆記用具を整理し始めました。

すると、Rollbahn 2021がありました。

 私は、ときどき、手帳の中身を再読し、重要だと思えば、その手帳から抜き書きしてみたりしています。

 『神は、私たちを愛しておられ、「理想の自分」を目ざすことよりも、今 愛されていることに心を向けてほしいと願っておられるのです。 賛美歌298番 』という文言を万年筆で書き付けたページが、ハラリと開きました。日本基督教団賛美歌委員会が1974年12月に編纂した賛美歌集です。298番と言えば、戸畑バプテスト教会の水曜日、夕礼拝で毎週歌っていた賛美歌、310番が近いです。

 開けてみました。

3番の歌詞が心に沁みます

        しずけきいのりの ときはいとたのし

        そびゆるピスガの 山のたかねより

        ふるさとながめて のぼりゆく日まで

        なぐさめをあたえ よろこびをみたす

 

しばらく、パラパラとページをめくりました。

すると写真のような、ページが。

さて、今日も倦まずたゆまず、自分らしく、歩んでいきましょう。


        

実践神学シラバスと迎賓館傍の教会近くのスナップ

2005年 西南学院大学神学部キリスト教学科 実践神学シラバス
 
2005年12月8日に、西南学院大学チャペルでお話ししたことがあります。当時私は某病院のホスピス施設長をしていました。確か、時間休を取って、ランキンチャペルに行きました。当時既にランキンチャペルは老朽化が進み、2階には立ち入れない状態でした。
 当日お話しした内容は、チャペル講話集(39)、2005年度の106ページから110ページに掲載されています。
タイトルは、〝大学教育における【ベンチ】の役割〟です。
 当時の宗教部の課長だった方が、「今度は全学の記念日に、お話しして貰えませんでしょうか?」とお願いされました。
 並行して、西南学院評議員を務めました。15年の長きにわたり、西南学院のために働きまして、2021年をもちまして、退職しています。今も西南学院大学人間科学部での非常勤講師は勤めています。
  2024年度は任用されないと思っていましたが、来年度も勤務するようにと依頼されていまして、受けました。
 そして、2005年度からキリスト教学科でも「実践神学」のクラスで、パストラルケアについて非常勤で教えはじめました。
 これは2007年3月に、東京の聖路加交際病院と神奈川のピースハウス病院に併任するという、前代未聞(聖路加でも、ピースハウスでも事務方がとても困りましたし、私自身が一番困惑しましたが、故日野原重明先生の意向でそうなりました。)の普通では考えられないような勤務形態になりましたし、勤務場所も関東に移りましたので、止むを得ずキリスト教学科の非常勤講師はその年で退職しています。
 2005年の実践神学初年度のシラバスが出てきました。ここに防備録として掲載しておきます。
 これを見ますと、今でも内容にはいささかも変更する箇所はありません。
この内容に枝葉をつけ、栄養をやり、葉脈が縦横に育ち、瑞瑞しい一つの木に育てばいいなと思います。私のライフワーク、まだまだありましたね。
 私の弟が関東で医師をしていますが、彼は東京のある独立した教会で日曜日はそこに捧げているのだと思います。前の牧師先生がお亡くなりになられたあとはしばらく無牧でしたから、彼が中心となり、新たな芽が蒔かれていることでしょう。これから東京に行く機会も増えていくでしょうから、日曜日にはその教会を訪れてみたいと思います。このスナップは、私が1997年4月に、上智大学キャンパス、迎賓館があります、そんな立地の公園を散歩していたとき、北欧系と覚しき母親が、日本人の画家でしょうか、油彩を描いておられるその絵にじっと見入る2、3才くらいの幼女を見守り、その2人をお祖父ちゃんと思われる初老の男性が全体を見守っている、そんな微笑ましい瞬間をパチリと撮った一葉の写真です。まだデジタルカメラではなくて、確かフィルムカメラを現像に出していたと思います。 今となりましては貴重な貴重な写真です。当時の空気感を思い出します。何だかとても心洗われる、そんな感じです。

1997年4月20日 迎賓館傍で描く画家とじっと見入る幼女

 
 
 
 
 
 
 

 

シャッター街に想ふ

ちょっと郵便局に用時があり行きました。用時を済ませ、通りの向こうを見ますとちょうど駅前の商店街がありました。まだここに来てから商店街には一度も足を踏み入れていませんでした。
では、ちょっとどんな感じなのか、行ってみましょうか、と。

田川、伊田駅前の商店街 今はもうシャッター街
日曜日の午後なのに、お店が一軒も開いていません。
歩いているのは私だけで、私の靴音しかしません。静寂です。
日本の商店街、程度の差はあるのでしょうが、ここまできますと、寂しさを通り越して、ある意味芸術的な、フィルムノワールのような、デカダンスの薫りさえしてくる気がします。
黒崎の商店街、直方の商店街、戸畑の商店街・・、日本全国、津々浦々、大都会以外はどこも同じようですね。私が小学生、中学生、高校生だった頃とは商店そのものが、大きなスーパーにどんどん浸食され、人々が購買するところも次第に変わりましたからね。仕方がないのと、そのスーパーやデパートさえもが、今度はネット販売に押されてしまい、やがては消えていく運命になりそうです。残るのは食品売り場やデパ地下などに限られていそうです。
 少子化対策、いろいろ言われていますし、でも、おそらくですが、少子化高齢化の波はもう変えられないと思っています。
特に地方は、その波に飲み込まれていき、やがて消えゆこうとしています。
或る本には、「数十年後、九州で今よりも人口が増えて生き残るのは、福岡市くらいでしょう・・」と記載してありました。
 
  その中で、私が、今日を笑顔で精一杯生き抜くこと、それができていれば、あとのことはあとの社会に生きる人が、自ずから考えていくことでしょうよ。

緑に埋もれ、もはや何のお店だったか定かではない・・
 ここを観ますと、アメリカ中西部の昔は栄えていたところが、ゴーストタウンになり、失業者、高齢者で溢れている現状をリポートしていたテレビの番組を思い出します。
 こうした人の営みの栄枯盛衰に左右されないような生き方を、探していこうと思います。