


私が生まれた昭和28年、1953年6月26日に熊本市で大水害が起こりました。市内を流れる白川が氾濫し、上通り、下通りの商店街は1階が全て水没しました。私をお腹に抱えていた母は、やっとの思いで友人のお店の2階に逃れて、難を脱したと父母から聞いています。そんなことになるとは思っていなかったそうです。災害はいつどんな形でやってくるか予測できませんね。
その時に溺れていたら、私は生まれていませんでした。危機一髪だったのですね。
これは自然災害でしたが、気をつければ防げる災害もありますね。これは災害と言えるかどうかわかりませんが、戦争もある意味とんでもない厄災ですね。
母はお転婆だったようです。太平洋戦争終盤、アメリカ軍のグラマン戦闘機が天草に飛来した時に、その戦闘機を見るために、屋根に昇ったそうです。そしたら、その戦闘機が機銃掃射をして、母の両脇を弾が跳ねていったと、笑いながら言っていました。その時に戦闘機のパイロットと目が合ったとのことです。アメリカ軍の兵士が、からかったのでしょう。それにしても、その時に被弾していれば、母は命を落としていたと思います。そこでも助かったのでした。
こうしてみると、私という人間がこの世に生を受けたのは、偶然のたまものと言えるかもしれませんね。
日本は自然災害が多い国です。これからもいろいろとあるのでしょう。危機感を持って日々を過ごしたいと、そう思います。

ソウルへの旅
1.福岡空港から仁川(インチョン)空港まで
A.
福岡空港国際線ターミナルビル3階の、各航空会社の搭乗受付チェックインカ
ウンターにて、チェックインします。その際にパスポートと航空会社から届い
ている予約情報(スマホに保存している情報など)が必要です。
チェックインカウンターに行く前に、自動チェックイン機で、搭乗者のパス
ポートを読み込んで、チェックイン予約券を発券する場合があります。
その後、チェックインカウンターで、パスポートを見せて、正規の航空券を
発券してもらいます。その際に預け入れの荷物を預けます。荷物の引換券も貰
います。
B.
保安検査場にて航空機に持ち込む荷物の検査を受けます。
C.
出国審査カウンターでパスポート、搭乗券を提示して、出国検査を受けます。
その際に、顔認証ゲートで、カメラで顔を撮影し、係官がパスポートの顔と
照合します。
C.
保安検査場から搭乗ゲートまでの間に、免税店があります。
搭乗口で、パスポート、搭乗券を提示して、飛行機に乗り込みます。
2.飛行機機内で
約1時間30分かかります。
航空会社によっては機内食がサービスされることもあります。
1
3.仁川(インチョン)空港に到着後入国まで
A.
あらかじめ飛行機内で、健康状態質問書や韓国への入国目的、宿泊場所など
を記載する簡単な質問書を受け取りますので、それに
記載します。
検疫台を通過します。
B.
入国審査を受けます。その際に、パスポートと搭乗券のチェックがあります。
両手の人差し指の指紋登録をします。
入国審査官が、顔認証を行います。
C.
手荷物を受け取るために1階に移動します。
手荷物を受け取ります。
韓国に入国します。

4.仁川(インチョン)空港コンビニにて
T moneyカードを購入します。
300円で購入できます。チャージは1000ウォンからできます。最大50
万ウォンまでです。このカードで、バスや地下鉄、コンビニなどで支払いが
できます。また地下鉄駅やコンビニでチャージできます。

5.仁川(インチョン)空港からソウル市内まで
の移動
インチョン空港には、第一ターミナルビルと第二ターミナルビルがあります。
二つのターミナル間の移動には、無料シャトルバスか有料の空港鉄道、または
タクシーを使うことになります。
ANA やアシアナ航空、チェジュ航空は第一ターミナルで、大韓航空やJALや
ジンエアーは第二ターミナルになります。
インチョン空港第一ターミナルの場合は、ターミナルビルを出てすぐの所に、
リムジンバス乗り場があります。
5B-2の乗り場からは、ソウル市内明洞のホテルまでの直行便が出ています。
料金は1,700ウォンです。
3Bや 4Aなどからもリムジンが出ています。
それぞれ向かうホテルが異なりますので、宿泊するホテルの位置をあらかじめ
調べておくといいでしょう。
リムジンバスに乗る際にトロリーケースを預ける事ができます。
引換券を貰います。降りる際に引換券と、トロリーケースに貼った券とを照合
しますので、引換券は大事に保管してください。
バスに乗り込む際に、Tmoneyカードをスキャンさせて乗り込みます。
席は自由席です。空いている席にどうぞ。
2宿泊するホテル、またはその近くのホテルの手前で、降車ボタンを押して運転
手さんに知らせます。降りてから、預けた荷物を引換券を見せて受け取りま
す。ホテルまで移動します。


6.ソウル市内の移動
A.
ソウル市内での移動は、基本的には地下鉄が便利です。
その際に役立つアプリがあります。
「コネスト韓国地下鉄路線図」です。無料のアプリで、乗り換え検索ができま
す。「コネスト韓国地図」とも連動していますので、観光に便利です。
B.
光化門からツアーバスが出ています。ソウル市内の人気観光スポットを巡る
シャトルバスです。オープントップバスがお勧めです。チケットを購入すれば
購入したチケットで一日中使えます。例えば気になる場所で降りて、ご飯を
食べたりしてから、後続のバスに再度乗車できます。日本語での音声ガイド
サービスもあります。
C.
タクシーも使えますが、注意が必要です。
1.
グレイ(シルバー)のタクシーです。タクシードライバーは日本語を理解でき
ませんので、目的地を書いたメモやスマートフォンで韓国語に翻訳して示しま
しょう。一般的に運転はかなり荒いです。シートベルトは必ずしっかりと締
めましょう。
2.
オレンジ色のタクシーはソウル市が認定しているタクシーです。
一番お勧めです。
黒色のタクシーは「模範タクシー」と呼ばれていますが、ほとんど法人使用
です。街中を流していることはまずありません。
3.
白色のタクシーは絶対に乗ってはいけません。問題のあるドライバーも多
く、ぼったくりの被害が絶えないそうです。以前、そうしたタクシーにうっ
3かり乗ってしまい、遠回りをされそうになりました。夕方はシルバーと白の
色違いが見えにくいことがありますので、注意してください。
ソウル市内は、3kmまで7,000ウォン(日本円で約758円)と日本
よりも料金はかなり安いです。
4.
コールタクシー
配車アプリを使って利用します。
韓国で有名なのは、「Kakao T」です。他には外国人観光客向けの「k.ride」
があります。これは日本語に対応しています。Google アカウントやApple ID
で会員登録できます。また、韓国以外の海外発行のクレジットカードが使えま
す。「Uber」アプリも使えます。あらかじめ日本国内で「Uber」に登録して
おく必要がありますが、韓国でもそのまま使えます。韓国国内では、Uber ま
たはUTと表記されます。
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田川市立病院、緩和ケア内科に勤務しています。今回「田川医報」からの原稿依頼をお受けしました。自由に記載してくださいとのことでしたので、私のピアノ小史として纏めてみました。
私がキーボードに触れた最初は、カワイの音楽教室の一期生だったらしいので、4,5才の時で、指に黄色や青色などのテープを巻いて、それでオルガンのキーボードを押していたのを覚えています。
小学2年生で、宮崎県日南市でピアノ教師の白方女史に指導していただきました。偶然ですが、後年私が大阪の淀川キリスト教病院に勤務した当時の白方誠彌病院長(九州大学の先輩)のお姉さんでした。
小学5年生から、北九州市戸畑で、ピアノ教師岡女史に習いました。毎週1度、自宅でレッスンを受けました。これは高校2年生まで続けました。その後は独学でしたが、ジャズやポピュラーミュージックの楽譜で練習してきました。
医師になり、40才前後、福岡栄光病院でホスピスの医師としてのキャリアを始めました。当時はまだ緩和ケアという言葉がありませんでした。談話室で、映画音楽などをピアノで弾いていました。患者さんやご家族に喜ばれました。
その後、九州大学の先輩、故木村豊先生から招聘されまして、福岡市の木村外科病院(当時)に開設されました緩和ケア病棟に勤務しました。開設間もない緩和ケア病棟「やすらぎ」に一台のピアノを寄贈していただきました。このピアノは阪神淡路大震災で全壊した家で無傷で残り、神戸で「奇跡のピアノ」と呼ばれたピアノでした。談話室に設置されたそのピアノを時々演奏していました。当時TNCテレビが取材しまして、特集番組として放送されましたが、私がピアノを弾いている所も放送で使われました。
そこでは、オカリナとギターのユニットを夫婦でしておられる「シャーナ」にボランティアでミニコンサートをしていただきました。その後私もオカリナを独学で始めました。爾来オカリナに填まりまして、10ヶくらい購入しました。今はそのうち2つくらいを使っています。
当時RKBラジオの林田スマさんのコーナーで、数度に亘り東洋医学について語る機会がありました。その最終回でRKBのスタジオのグランドピアノとオカリナを演奏しました。
それから「私たちの病院に、もう一つ新しく緩和ケア病棟を作ってください。」と福岡市西区の村上華林堂病院の星野理事長先生に請われ、転任しました。新しい建物の2階、3階にホスピス棟を建設しました。新設した緩和ケア病棟のロビーに、伯母さんから譲り受けたヤマハの特注のグランドピアノを搬入し寄贈しました。そこでは盲目のバイオリニスト「川畠成道」さんと、ロンドンフィルなどとの共演者であるピアニストによるボランティアコンサートを2年続けて開催したことがありました。私もその際に少しピアノを弾いたのですが、そのイギリス人の男性ピアニストから、「Wonderful! You are nice and heartful Pianist」と言って頂けました。
数年後、当時聖路加国際病院の理事長でした、故日野原重明先生から、先生が理事長をしておられた「ピースハウス病院」(日本最初の独立型ホスピス)に招聘されました。そこでも、立派な音楽ホールのグランドピアノを演奏していました。
その頃だったと思いますが、武田薬品工業から、「パシーフという医療用麻薬が新しく発売されまして、社内教育用のビデオのBGMに私の演奏するピアノ曲が採用されました。

その後、今度は北九州市立病院の緩和ケア病棟に当時の光山昌珠病院長から招聘されました。そこでは緩和ケア病棟ラウンジのピアノとして、高校の後輩からピアノを寄贈していただきました。今でも当時弾いていたピアノの楽譜がそのピアノの上に載ったままだと思います。当時の模様を、私の著書である「緩和ケアコンサルテーション」にコラムとして掲載しましたので、ここに転記します。
『夕方からのピアノ演奏
今日の夕方、雨が降りしきる中、少しピアノを演奏しました。アンドレ・ギャニオン氏の曲を数曲と、西村由紀江氏の曲を2,3曲。観客はラウンジにおられた方々と病室で聴いておられる方々。患者や家族の方々ですね。・・中略・・私が緩和ケア病棟で奏でるピアノの音、それは決して派手ではなく、しかしながら一つひとつの音がそれぞれ存在感をもって、背景から浮き出るように、音量は小さいが、しっかりとしていてキレがある、バッハの音楽のような音、そのことを中学生、高校生になるにつれてはっきりと自覚するようになった私のピアノの原点です。中略・・、やがて皆亡くなっていく、そのような厳しい状況で凜とした音、ホッとできる音を聴けることは幸せだとそう思います。
人生の最期まで文化的に豊かであること、時分らしさを失わないこと、凜として、そしてホッと寛げる。
今夜も演奏が終了したときに、ある患者の家族が「素晴らしい」といって拍手をしてくださいました。私の心がこの方の心に届いたのですね。
音楽は一瞬にして、音を通してコミュニケーションができます。私に与えられたピアノ演奏という才能、タラントがこんな形で用いられていることに感謝します。私はきっと息を引き取る時まで、ピアノを演奏することが大好きなのでしょうね。』「緩和ケアコンサルテーション」南江堂 2012年5月10日発行 132〜133ページから引用

そこから、今度は千葉県旭市にあります、979床と、日本で一番大きな公的病院である「独立行政法人旭中央病院」の緩和ケアセンター長として招聘されました。そこの緩和ケア病棟にも千葉興業銀行から寄贈されたピアノがありましたので、病棟の催しや日々のお茶会で、演奏しました。
現在田川に赴いて5年目になりました。2023年4月1日、当院の6階西病棟を改築しまして、ベッド数16の緩和ケア病棟が開設されました。これまで田川地区には緩和ケア病棟が無かったため、がん末期の患者さんは飯塚地区や福岡地区、北九州地区などの病院で最期を迎えることが多かったのです。住み慣れた我が家に近い田川で、最後まで暮らすことが可能になりました。緩和ケア病棟は全て個室です。いずれの病室も快適に過ごせるように設計されています。無料のWifiを利用できます。広い介護浴槽と一般の浴室があります。田川の街並みを一望できる多目的室やソファが設えてある広いロビーがあります。そのロビーに、昨年、当院から在宅緩和ケアを提供していた方から、ヤマハのYUS5という最高峰のアップライトピアノを寄贈していただきました。偶然にもかつて木村外科病院(当時)で頂いた「奇跡のピアノ」と同じものです。
緩和ケア病棟の昼下がり、患者さんやご家族がホッとなさる時間を過ごして頂けるように、少し音量を抑えて、今日もピアノの鍵盤に向かっています。
私のピアノ小史、如何でしたでしょうか。これまで緩和ケア病棟を開設するたびにピアノを寄贈していただきました。「緩和ケアの伝道師」を自認する私にとりまして、ピアノが緩和ケアとともにいつも傍にありました。これからも心に響く音を奏でていきたいと思います。


10年くらい前までは、こんな素敵で小さな本が、それこそ高取商店街の小さな小さな街の本屋さんを覗くと見つけることができたものですが・・今はもうそんな小さな本屋さんがほとんど消えてしまいました。残念です。東京にたまに行きますと、そんな小さな本屋さんが残っていたり、または若い人が敢えてそんな本屋さんを新規に開店したりしています。福岡でも、そんな文化が欲しいです。この本はたまたま博多`KITTEのREC COFFEEで、前から欲しかったVARISTA用の電気ケトルを思い切って購入しましたが、その時にお店の向かいのHMVで、これもたまたま見かけた本です。私は、こんな体裁で、こんなような表紙の本が大好きです。ですので、自分でもそんな本をいつか作ってみたいと思います。小さな本屋さんに小さな本ばかりを集めたお店、今私がやってみたいコンセプトですね。
