aki100mac’s blog

日頃考えていること、体験したことをブログしています。

永遠の住処とは・・。

将来どこに住むのか。これは人の永遠のテーマではないかと、そう思います、一つの哲学的な命題ですね。ある方がその著作でこんなことを書いておられます。

 「・・常識的な人は、その常識にとらわれてしまい、常識の枠から一生抜け出せない、そしてその価値判断でもって、他人を評価し、裁いてしまう。土地を持っている人はその土地に縛られてしまい、一生そこから抜け出せないで終わる。それでもいいかもしれないが、世界は広いのである。どこにも行かないとはもったいないし、視野も自ずと狭くなる。素行の良さを誇っている人は、そのことでこれまた人を裁く。聖書には裁くな、と繰り返し繰り返しイエス様は仰っているが、これもよく理解ができる。健康であることを誇っている人は、他人の痛みが分からない。そしてひとたび自分の健康が冒されると身も蓋もなく嘆く。そして周りの人に不快な思いをさせているが、そのことにすら気づかない。結局、人はどんな人でも完全な人なんて一人も居ないのである。そしてそのことが判ったときに、私は非常な安心を憶えるのである。・・傳々」と。

 若干記憶が曖昧ですが、そういった意味合いのことを確かどこかに書いておられていますね。

私の父母は、「この世に富を蓄えるのではなく、天国に宝を積みなさい。」とそう私たち4人の男子には繰り返し繰り返し諭しました。

 実際に、土地も建物も一切合切、物質は何も残さずあの世に旅立ちました。その代わり、頼れる人には目一杯頼りました、これはこれで一つの生き方だったし、誰も訊ねては来ない邸宅に住むよりは、よほど人間的で、愛情に富んだ生き方ではないかな、とそう思います。

私も、この世にある限りは、いつ召されてもいいように、目一杯生きようと思います。そしてその時がきたならば、そっと上に上げられたいとそう願っています。

 私の父母と過ごした年月は、貴重な日々でした、今そのことを思いかえしています。

私にとりまして、永遠の住処とは、それは「魂の落ち着く場所」ですね。具体的にはまだまだですが、そのうちにEst❗ EST❗と言える場所が、この地上にあればいいのですがね。

まだしばらくはエトランジェ、ですが、もうこれはずっとそうなのかもしれません。

それでも一向に構いませんが。それがどうしたの?の精神です。(*^。^*)

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