aki100mac’s blog

日頃考えていること、体験したことをブログしています。

より良い医師になるための要件を哲学してみました。

私は、この頃朝風呂に入っています。熱いお風呂に浸かりながら、髭をあたり、顔を洗い、などしていますが、最高に気持ちのいいものです。体中の細胞が活性化されるような心持ちですね。そして、最後に仰向けにして、そのまま全身をお風呂に沈めて、鼻から息を吐いて、「ブクブクぶくぶく.。o○.。o○.。oOO」とやります。そうしますと、いろいろな想念が湧いて出ることもあります。

 昨日の朝もそんなことをやっていました。すると、この頃何だかもやもやしていたことが、スクッと解決したような気持ちになりました。それは、「一体、医師になるとは、どういうことなのだろう。市井の皆さんから信頼してもらえるような、そんな医師になるためには何が必要なのだろう?!」とこれまでずっと考えていたのですが、一つの答えが出たようです。

唐津の二葉寿司にて。その日、獲れたての新鮮な魚と、旬な生わさびが特徴です。


 それは、いわば、「信頼される医師になるための要件」「信頼してもらえる医師として働くための要件」です。

 それは、まずもって、目の前の患者さんを、助けようと思うこと。そのために、自分の医師としての医療技術の全てを提供してそれが実現できればそうするし、そうでなければ、他の人たちと協同するための努力を惜しまないこと、そして、これが大事なのですが、自分の専門領域に囚われない柔軟な心を持つこと、これに尽きるのではないでしょうか。

 ですから、短絡的に物事を考えないことと、幅広い教養が必要になりますし、医師としての哲学、ヒューマンな心、態度を生涯をかけて獲得できるように、日々努力することを自らに課す、それが根本だろうと思います。

 間違っても、「俺は、私は偉いんだぞ。」とふんぞり返って、見下したような物言いで仕事をしないこと、それがまずは必要でしょうね。

哲学は、英語ではPhilosophyと書きますが、ウイキペディアからの記事を下に引用します。

「・・古典ギリシア語の「フィロソフィア」(古希: φιλοσοφίαphilosophia、ピロソピアー、フィロソフィア)という語は、「愛」を意味する名詞「フィロス」(φίλος)の動詞形「フィレイン」(φιλεῖν)と、「知」を意味する「ソフィア」(σοφία)が結び合わさったものであり、その合成語である「フィロソフィア」は「知を愛する」「智を愛する」という意味が込められている[7][8]。この語はヘラクレイトスヘロドトスによって形容詞動詞の形でいくらか使われていたが[14]、名称として確立したのはソクラテスまたはその弟子プラトンが、自らを同時代のソフィストと区別するために用いてからとされている。

古典ギリシア語の「フィロソフィア」は、古代ローマラテン語にも受け継がれ、中世以降のヨーロッパにも伝わった。20世紀の神学者ジャン・ルクレールen:Jean Leclercq)によれば、古代ギリシアのフィロソフィアは理論や方法ではなくむしろ知恵・理性に従う生き方を指して使われ、中世ヨーロッパ修道院でもこの用法が存続したとされる[15]。一方、中世初期のセビリャのイシドールスはその百科事典的な著作『語源誌』(: Etymologiae)において、哲学とは「よく生きようとする努力と結合した人間的、神的事柄に関する認識である」と述べている・・」

 そうですね、私は、「より良い生き方を探し求めて、あれこれ考えること。」、それが哲学だと思っています。以前木村外科病院で連続して5回位でしたでしょうか、ホスピスボランティア講座を開催しました。30名くらいの参加者の中から面接を行いまして、晴れてホスピスボランティアになってくださった女性がこんなことを言っていました。これはTNCテレビの収録での言葉ですが、「もう少し良い生き方があるのではないだろうか、とか、何かお役に立つことができるのではないだろうか、とか、そんなことを思い、それを求めてホスピスボランティアになってみようと思いました。」と言っていました。

 ホスピスボランティアに従事するとは、突き詰めて考えてみると、自分をそのホスピスのために差し出すこと、そしてその中で人間として、より良い生き方を模索することに他なりません。

 哲学すること、それは智そのものを愛すること。そして、医師としての智とは、他の人をサポートするためにあると思います。いわば、仕えること。奉仕、サービスの精神が根本になければなりません。

仕事とは、その仕事に従事する人々の間で長年培われてきた様々な規範に従って行われます。医師としての規範の中で最大の要件とは、それは身体や精神で困っている人を助けること。

仕事とは他人に奉仕することであり、自分よりも大いなる存在である、神様といってもいい存在に仕え、畏れを抱きつつ、絶えずブラッシュアップしていくことだと考えます。

 さて、今朝もまた、「熱いお風呂」に浸かって、哲学しましょう。このひとときが最高ですね。