aki100mac’s blog

日頃考えていること、体験したことをブログしています。

緩和ケア病棟で働ける、優しい医師、いませんか?

国保 旭中央病院 緩和ケア病棟

私が福岡市博多区にあります、木村外科病院(現在の木村病院)ホスピス病棟「やすらぎ」に勤務していたとき、産業医科大学医学部から、定期的に医学生が勉強にきていました。彼らは今どこで、どんな医師になっているのでしょうね。
 現在、私が田川市立病院に勤務して3年目です。今月になって、九州大学からのたすき掛けで、2年目の研修医が1か月だけ、それも火曜日、水曜日、木曜日だけ、緩和ケア内科の研修を受けています。
 毎日、私の後について、朝から夕方まで、病棟や外来、緩和ケアチームのカンファレンスなど、見学しています。今日は夕方、当院で私が拵えた、「緩和ケア内科で入院する際の最初の指示簿」について、講釈しながら、その極意を伝えました。
 目からうろこの世界だったようです。
私も齢を重ねてきましたので、ろろそろ次のステップへと進みたいのですが、新しく緩和ケア病棟も開設することですし、私の後を託すまともな医師を育てることが先決ですね。
 ただ、世の中は、専門医志向が強く、何かと言えば◎△学会の認定医や専門医やら、指導医やらそんなことばかりに拘っていて、純粋に、世の中のために、あるいは困っている病気の人をサポートしたいと思っている研修医は、少ないですね。
 ましてや、非常に忙しく、患者さんだけでは無く、ご家族のケアも大事な現場である「緩和ケア病棟」に勤務したい医師は滅多にいません。何だかガッカリします。
 それから、医学部に進む前、在学中、卒業した後、自分たちの専門とする医学以外に、リベラルアーツを身につけてほしいのですね。それは音楽でも、絵画でも、哲学でもいいのですが、できれば芸術的な素養を一生をかけて追い求めてほしいな。
 特に、音楽は大事だと思います。西洋の音楽、特にヨーロッパのクラシックと呼ばれている楽派、宮廷音楽から脱し、市井の人のための音楽を確立したベートーベン、教会音楽だけではなく、街の雑踏で生活している庶民のための音楽をも模索したバッハに強く惹かれます。
 彼らは自分の立場を離れて、一部の特権階級ではなく、仲間のための音楽を確立しました。
今日本の巷で流れている音楽、音階の基礎を造ったのは、実は音楽家では無く、数学者だったピタゴラスです。彼がドレミファソラシドを発明したのですね。そこから人類、有史の音楽は始まっています。そして音を愛し、音の研究をしたのです。
日本の音楽教育は明治以来、西洋の音楽の歴史を顧みず、いわば寄せ集め、いいとこ取りの教育に終始しています。そんな音楽に辟易しているのは私だけではなさそうです。
 最近私が填まっているWONKの実験的な音作り、音場造りに強く惹かれていますが、Robert
 Glasper Trioの影響を受けているのだと思います。
 ヨーロッパの音楽教育の影響下にない、アメリカのそれもBlack Musicでそういったことが進んでいることに、なるほどですねと、そう思います。そして、そういった音作り、音楽がヨーロッパやイギリスに影響を及ぼし、それがまた日本やアメリカにリターンしてくることになっていますね。
 私が、ホスピスや緩和ケア病棟でお世話をしてきた経験から言えるのは、ヘビメタやロックなど、「喧しい」「重たい」音楽にのめりこんできた人でも、この世から旅立つ時には、皆さん一様にそういった音には耳を塞ぎます。そして、より自然な、魂に心地よい音楽に身を委ねるということです。
 自然界の、風の音、波の音、鳥の鳴き声、生き物たち、植物たちの出す音に耳を傾けると、実に様々な音がそこには存在しています。
 人工的な音ばかりの日常を送っていると、やがて魂が乾き、心が荒みます。
年齢を重ねてきて、もっとゆっくりと、穏やかに過ごし、自然界の音に親しみ、清涼な空気に身を委ねたいと、そう思うようになりました。その一方、医師であり続けたいとも思います。
弱い立場に置かれた人に、救済の手を差し伸べること、そのために私たち医師の存在理由があります。
 遙か昔、ギリシャ時代のピタゴラスたちが、神殿の内外を回遊して病気の人たちを無償で治療していたことの意味を噛みしめ、次なるステップを模索中です。
 私と一緒に、緩和ケア病棟で汗を流すことを厭わない、優しい医師を求めます。