以前、Appleが提供していた無料のブログ作成ソフト「iWeb」で作成したブログです。
今から約9年前の記事です。
The World of Akira 12/06/19 11:14
The World of Akira
WELCOME
ABOUT ME BLOG
The World of Akira
PROFILE
Name: Akira KobayakawaGender: Male
Age: 57
Birthday: 12月10日Status: MarriedHometown: Fukuoka city
OCCUPATION
Industry: Medical Director Occupation: Medical Doctor Hospital:Kitakyushu Municipal Medical Center Location: Kitakyushu city
FAVORITES
Quote: ・・日曜日は天か
らの贈り物、毎週24時間の 休息により、私たちは新た
にされ、新しい喜びと力で
満たされます。その目的に
適った過ごし方をするかど
うかで私たち人間の魂に痕
跡を残します。・・「あな
たの日曜日」ヴァルター・
リュティ
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ナイン・インタビューズ
Movies:
ドラゴン・タトゥーの女TV Shows: SHERLOCK
(BSプレミアム)Musicians: Eric Alexander Quartet:Gentle Ballads VTravel Destination:England
CONTACT
nijigadeta@me.com
About Me
福岡市在住の男性です。幼少時は熊本市、福岡市、宮崎市、日南市など
で過ごしました。小学3年生の時に、父親の転勤に伴い当時の戸畑市に移
住しました。中学、高校と地元の公立校に通学し、大学からは福岡市に。
以来福岡市が拠点となりました。
医師を目指したのは、どうも中学1年生のときだったようです。漠然
とした憧れがありました。高校からは地元では難関の九州大学医学部を目
指しました。同級生の多くは、九大の工学部や京都大学の理学部など理科
系に進学しました。東京や名古屋に住んだことがあり、親がそちらの大学
を出た者は、慶応大学や名古屋大学の法学部などに進学しました。
数年前に京都で同窓会がありましたが、皆面影はありましたが、中には
誰だったかなと、訝しむくらい変貌を遂げた者もいて、年の経つのは早い
ものだとしみじみ実感しました。私は、高校の頃とあまり変わっていない
そうです・・。まあ、進歩がないというべきかもしれませんね。
閑話休題。
祖父は外科医、叔父は内科医です。いとこに医師が数人います。弟に二
人の医師がいます。大学卒業後、最初は小児科医になりました。そのとき
の教授が合屋先生でした。後年私の緩和ケアに関する著作を、先生が入院
しておられた病院でお読みになり、「痛みを取る方法を小早川の書いてい
る通りにしてほしい。」と仰ったとのことを、お通夜の晩に、開業されて
いるご子息から伺いました。弟子冥利につきます。
小児科医のあと、偶々麻酔科医となり、それから集中治療、救急の仕事を
経て、最終的にホスピス・緩和ケア医になりました。
ホスピス・緩和ケアの仕事に従事して今年で15年くらいです。
現在の仕事は、国のがん診療拠点病院の中にある「緩和ケア病棟」で
The World of Akira 12/06/19 11:14
す。緩和ケア科主任部長ですが、常勤の医師はこれまでの2年間は私一人
でした。今年の春もう一人医師が与えられました。昨年からは他院の麻酔
科医師が週1回研修に来ています。しっかりと育てて、緩和ケア医を養成
していくつもりです。
大学でも教えていて、西南学院大学人間科学部社会福祉学科ではソー
シャルワーカーの卵たちに「老年学」「老年期医学」「医学一般」などを
講義しています。神学部で、「実践神学」のクラスを受け持ったこともあ
ります。主に「パストラルケア」について、講義をしていました。他に福
岡県立大学看護学部大学院で「ホスピス看護学」を看護師に教えることも
あります。
これからの緩和ケアを考えるとき教育こそがとても大事だと思います。私
の働いている機関での狭い範囲の教育だけではなく、もっと世間に広めて
いければいいですね。
理念は1 自分自身に忠実に。 2 人に左右されずによく見て、しっかりと聞いて、はっきりと 言うこと 3 柔らかな応答と忍耐深さでことにあたり、心に知恵を持つ 4 自らの人生の目標を見失わないで 5 日曜日は安息日
6 自由でありたい
河合の音楽教室の第1期生で、その後ピアノの個人レッスンを高校2年ま で続けました。今でも時々ピアノに向かっています。 バッハの音楽、特にチェロが好きで、ヤマハのサイレントチェロを持ち、 たまに音を出したりしています。以前、コブクロのバックでチェロを弾い ておられる方に、3,4回個人レッスンを受けたことがありますが、やは
りいいですね。人の声に一番近い楽器でしょうね。
ピアノの他には、オカリナを趣味で演奏しています。
JAZZが好きです。澤野書房からのヨーロッパのジャズトリオなどをよく 聴いています。 自宅の書斎兼寝室には、ピアニストだった叔母から相続したヤマハの特注
のグランドピアノがあります。リビングには別の叔母からいただいたこれ
も特注のヤマハのアップライトピアノがあります。何でもカシュの木で作
られた朱いピアノです。二つのピアノはどちらもいい音を奏でます。
休みの日にはいろいろなジャズピアノ曲などを弾いています。
現在、福岡市と北九州市の間を月曜日から金曜日まで通勤しています。
クルマだと77kmくらい。1時間30分から2時間はかかります。バス、
地下鉄、新幹線、モノレール(徒歩)でも同じくらいはかかります。
体調は2008年5月の連休明けに、腰の手術を日赤医療センターの脊
椎センターの久野木順一先生にしていただいてからは割といいのですが、
それも用心しながらの生活です。
この先どういう具合になるのかは判りません。今のところ身体と相談し
ながらの勤務ですね。
The World of Akira 12/06/19 11:14
さて、がん難民が多数出て彷徨っています。彼らを病院ではなく、でき
るだけ自宅で診てあげたいと思います。都会でも田舎でもひとり暮らしの
ご老人が増え、孤独な中で死を迎えています・・。かわいそうです。
介護力の希薄な現代では、在宅ケアはなかなか難しいことではあります
が、往診する医師を増やすことも大事ですね。
現在勤務している北九州市で、「小倉在宅緩和ケアミーティング」を20
10年4月に立ち上げました。開業されている医師や病院、訪問看護ス
テーションの看護師、薬剤師の方々などが参加しています。
私は以前から日本緩和医療学会の教育研修委員をしていましたが平
成22年7月末でその役目も終了しました。今は教育セミナー作業部会員と いうことになっていますが、さてこれもいつまででしょうか。 この2,3年緩和ケアに対しては追い風が吹いていますが、その緩和ケ
アの内容がいささか変容してきていますので、果たしていつまでこの学会
が私に合うのかなと思います。
最近は何でも、◎△パスだとか、緩和ケアの技術面ばかりが脚光を浴び
ていて、何だか皮相な感じがしています。
1996年7月25日、26日に第1回日本緩和医療学会が札幌市で開
催されて、もうやがて15年です。年々歳々これに携わる人やテーマは移
ろいますが、医療をやりすぎないで、人を大事にする医療哲学を育てる、
人にはあらかじめ備わっている寿命があるという理念は変わらないでほし
いものです。
私は、この理念が大事にされる環境を大事にしたいですね。
それから、日々新しいことにチャレンジしていきたいですね。
60才くらいまで、あと2年くらいは現在の病院で勤務しなければいけな
いようですが、その後は果たして自分は何ができるのか、何がしたいのか
を今一度考え、後悔しない生き方に繋げられるようにしていきたいです
ね。
教育職のお誘いがありますので、まずはその辺り、それから、病棟を受
け持つ比率を下げて、主に外来診療に携わるとか、あるいは思い切って全
く違う業種に進むことも面白いかもしれませんね。
何はともあれ、「それがどうしたの。」をモットーに、自由闊達に生き
ること、それが現時点での目標です。