aki100mac’s blog

日頃考えていること、体験したことをブログしています。

限りある命について

2012年6月17日 福岡市 以前住んでいたマンションにて


2010年に、西南学院教会の日曜礼拝で説教をいたしました。

その時の原稿です。

 

おはようございます。

今日こうして、皆様の前でお話しができますことを感謝します。

今朝は一つのことにポイントを置いてお話しします。

私たちの「限りある命について」です。

 私の現在の仕事は、北九州市立医療センターの別館にあります、「緩和ケア病棟」の医師です。北九州市小倉北区馬借という場所で、病院の敷地の横をモノレールが走り、近くには紫川が流れています。北九州市立医療センターはいわゆる「がん診療拠点病院」です。

 以前は小倉がんセンターと呼ばれていた時代があったようです。歴史は古く、明治6年小倉医学校兼病院として創業されました。

平成13年に別館が竣工し、その5階に緩和ケア病棟があります。設計者はクリスチャンだということです。

 市立病院にしてはモダンなデザインで、ステンドグラスがちりばめられ、そこかしこに蝶々やお花などのレリーフが飾られ、木のぬくもりが感じられます。

病院の病床数は636ベッドで24の診療科があります。私は緩和ケア科の主任部長です。 昨年4月に赴任しましたが、20ベッドの緩和ケア病棟のマネジメントと緩和ケア外来での外来診療、一般病棟で依頼された患者さんの症状緩和を担当しています。私一人で、昨年は延べ4800名の方々に対し緩和ケア科外来での診療をしました。

 緩和ケア病棟には癌末期の方々が入院してこられます。院内の各科から転棟し、また他所の病院からの紹介で来られます。

 緩和ケアの新患外来には、紹介状を持参され、また検査データやCT,MRI,PET-CT,骨シンチなどの画像情報が併せてもたらされます。そして、患者さんご本人とご家族や友人の方々との面談が始まります。ほとんどの方はとても緊張して来られます。その中で、病気のことはもちろんですが、ご家族のこと、経済的なこと、生育歴、社会での仕事などの役割について、精神的な苦痛、心理的な悩み、スピリチュアルな苦痛についてなど実に様々な事柄についてお尋ねしていきます。出身地や出身学校、趣味や大切にしていることなどもお聞きする中で次第に気持ちがほぐれていきます。

 そうして患者さんの病状認識、がんの治癒を目指す治療の中止についての考え、これからの過ごし方の希望、さらには緩和ケア病棟への入院の希望の有無、無料個室希望か有料個室希望なのか、入院するとしたらどのタイミングで入院したいのかなど、お伺いしながら、電子カルテに記録していきます。

 既にがんによる痛みや吐き気、不眠などの症状があれば、それを和らげる薬を処方し、薬の説明、特に麻薬性鎮痛薬の性質、副作用防止について細かく説明していきます。

 そして、ご家族の希望についても同じようにお聞きします。

中には、ご自分の余命について知りたいと言われる方もおられます。

そのための判断材料である検査データが足りない、あるいは古いということですと、その日に検査をしていただきます。

 ですからお一人で軽く1時間はかかりますね。

朝から緩和ケア病棟の患者さんたちのお世話をし、新患外来では朝から2人か3人の新患の患者さんに対応し、その後はまた緩和ケア病棟で入院しておられる患者さんやご家族にまつわる実にさまざまな問題に対処していきます。そうしている間にも病院外から電話での相談や、院内の先生からの相談に応じていきます。また日中、病棟でお亡くなりになられる方がおられます。その前後の看取りのケアやお見送りがあります。患者さん、ご家族との面談も毎日のようにあります。

 また毎日の午後からの病棟カンファレンス、新患紹介、デスカンファレンス、他の病棟の患者さんへの往診などをこなしながらまさに分刻みで仕事をしている毎日です。

 さて、がんと診断された時期が既にターミナルで(末期)なければ、通常は手術、化学療法、放射線療法がなされます。手術のあと再発すれば化学療法が通常は選択されます。やはり抗がん剤の副作用が問題になります。

副作用が激しかったり、これ以上は体力的に無理だと判断されたり、抗がん剤を種々試しても効果が無くなれば、その時点で治療は中止されます。

それからがターミナルステージ、いわゆる末期ガンと言われる時期です。

ある程度の時期、痛みや食欲不振、吐き気、不眠などの症状があまり目立たない時期があるかもしれませんが、やがてがんの進行に伴い、様々な症状が出現し進行してきます。いわゆる進行がんとなります。最近では抗がん剤の中で分子標的薬と呼ばれるものが出てきました。副作用がそこまで激しくないこともあり、いよいよもうお亡くなりになる直前だなという時期まで、主治医が引っ張って投与してしまうことが増えています。医師もそのほうが楽だからです。  もうすぐお亡くなりになることは明らかなのですが、医師はそのことを言わないし、患者さんやご家族もそこまで自覚してはいません。

 この時点でも、患者さんはあまり深刻に受け止めていないことが多いのですが、しかし、症状は急速に増悪し、体力が急速に、文字通り坂道を転げ落ちるようにと表現されますが、本当にあれよあれよと言う具合に弱っていきます。

 そうなる前に、いろいろなことを準備しておくことがとても大事です。メメントモリ、まさに汝の死を想え、です。

 ただ、最近思いますのは、現代の日本人は、あまりにも死から遠ざった生活しかしていないので、人がどのようにして死ぬのかということを知りません。

テレビドラマの中でのつくりものの死しか知らないのです。知らないのは一般の人だけではないのです。研修医が死亡確認の仕方を知らない、看取りの作法を知らないのです。緩和ケア病棟の看護師が、先生聴診器は持っていますか、ペンライトはありますか、何時何分にお亡くなりになりましたと言ってくださいね、時刻は携帯電話ではなくちゃんと時計で確認してくださいよといちいち指導しなければならないのです。医学部の教育、いったい何をしているのでしょうかと言いたいですね。看取りの教育がなされていない現状があります。延命至上ではなく、人が尊厳を持って旅立てるようにすることも医療や看護の大事な使命だと思います。

 人はいつまでも生きられないのです。生物は、生まれてきたものはやがて必ず死にます。死を忌み嫌い、死から目を背けていてもやがて誰にでも公平に死は訪れるのです。こういったことを知らない、あるいは否定して、ひたすら延命を願うばかりという人が多いですね。死は生の自然な経過なのであるという知恵が足りていないのです。ですから、上智大学のアルフォンス・デーケン先生が言うように、命あるものはやがて死ぬという「死の準備教育」が小さい時から必要だと思います。そしてその大切な儚い命だからこそ、自分の命だけでなく、他の人の命も大事にしなければいけないとうことの教育が必要です。

 緩和ケア外来や緩和ケア病棟には実に様々な考えを持った方々が来られますが、自分の命の終わりに耳を澄まし、穏やかなうちにご自分の人生が成就されるように願う方とそのご家族はすがすがしく、私たちホスピス緩和ケア病棟で働くスタッフもお世話していて、とても心が穏やかになります。

 逆に、もはや無理であるのに命にしがみつき、自分が死ぬことに納得できない、あるいは家族が生かし続けようとすると、スタッフに対して無理で無駄な治療を要請したり、暴言を吐いたりして摩擦が多く、困ってしまいます。いわゆるモンスターペイシェント、モンスターファミリーです。こういう方々には本物の知恵が、ウイズダムがないのでしょうね。

 今朝の聖書の箇所、人はやがて死ぬという命題は真実ですね。

先日、鳥取市で「日本ホスピス・在宅ケア研究会」がありましたので、参加してきました。全国から医師や看護師、ボランティアなど、たくさんの方々が参加しました。

 とりぎん会館というところで開催されたのですが、横に「鳥取県立図書館」がありました。「闘病記コーナー」がありまして充実していました。いろいろな病気別に闘病記が集められて分類されており、「がん」は一大勢力でした。その中で私がこれはいいなと思った本があります。今朝はその本を紹介します。中島梓さんの「アマゾネスのように」と、「ガン病棟ピーターラビット」、それから「転移」です。作家であり、主婦であり、母親でもあった1人の女性でした。最初は1990年12月に乳がんの手術を受けられ、2007年11月に新たに膵臓がんとなり、化学療法を受けられたのです。2008年6月に命がまさに召される直前まで闘病中の思いを綴ったものです。患者の立場となられた方の赤裸々な心情と病院での生活が抑制の効いた筆で語られていきます。そしてやがて亡くなります。これらの本の中で、作家としての、母親としての妻としての、また両親の子供としての自分の思いが綴られています。ご自分の人生を振り返り納得していく、いわばライフレビューが語られています。

ホスピスや緩和ケア病棟で、このライフレビューを完成させることが一つの目標になることがあります。不治の病を得て、亡くなるまでに自分の人生を整理し、そうですこれが私の人生です、と納得することがホスピス・緩和ケアの根幹です。

 では、やがて死ぬ運命にある私たちは日頃からどのように生きていったらいいのでしょうか。

 私は詩がとても好きという訳ではありませんが、ときどき目に留まる詩にとても心が引かれることがあります。毎日の生活に潤いを与えてくれたり、物事に行き詰まったりして落ち込んだ気分のときに、ちょっと違う視点から世の中を眺めることができ、気持ちがほっとするような詩が好きです。

本の中表紙に、そんな詩が書いてあるものがあります。

先日も福岡市総合図書館で借りたある本の中表紙に一つの詩が転載されていました。

 それは「ある兵士の祈り」あるいは「グリフィンの詩」と一般には知られている詩です。本やインターネットで様々な訳が紹介されています。こういう詩です。

『大きなことを成し遂げるために 力を与えて欲しいと神に求めたのに  
 謙虚を学ぶようにと 弱さを授かった

 偉大なことができるように健康を求めたのに 
 より良きことをするようにと 病気をたまわった

 幸せになろうと富を求めたのに 
 賢明であるようにと 貧困を授かった

 世の人々の賞賛を得ようとして 成功を求めたのに 
 得意にならないようにと 失敗を授かった

 求めたものは1つとして与えられなかったが  
 願いはすべて聞き届けられた

 神の意にそわぬものであるにもかかわらず  
 心の中の言い表せない祈りはすべて叶えられた 
 私は最も豊かに祝福されたのだ

PHP文庫から出版されている、渡辺和子さんの「愛をこめて生きる」という本の中でもこの詩が紹介されています。その本によりますと、この詩はニューヨーク大学リハビリテーション研究所の壁に書かれているものだそうですが、アメリ南北戦争時の南軍無名戦士がその作者だと伝えられています。1980年代にこれを日本語に訳したのがグリフィン神父でした。カトリックの内部資料として発表されたようです。その後はカトリックの関係者の間で読み継がれていきました。あるとき、宮崎カリタス修道女会の古木涼子シスターが別のルートから英語で書かれたこの詩に強く惹かれ、何とか日常の活動で使えないかと思い立ち、この詩に曲を付けて、CDにしました。2002年に修道女会から発行されたCDに収録されました。その際にグリフィン神父に連絡を取り、ことの詳細を知ったわけです。グリフィン神父は「自分は翻訳者であって作者ではないから、グリフィンの祈り のタイトルはふさわしくない。」と言われたので、「私をお使いください」というそのCDには「クレド(弱い者の信仰宣言)」と表示されています。

私も、この詩にとても強く惹かれます。

 私は、私が働く「緩和ケア病棟」で、お一人お一人がご自分の命を見詰め、自分らしい人生を成就できるようにと願い、その方々の心に耳をすまして共感して働くことを許されています。 

この「限りある自分の命」について、私たちは耳を澄まし、命の終わりにあたってなすべきことを終えられるように祈り、心穏やかでありたいと思います。そのために必要な業を、神様は確かに備えてくださいます。その業を謙虚に受け取り、心に感謝の気持ちを忘れず、柔和でありますようにとお祈りいたします。そのことがやがて、後悔しない人生につながるものだと思います。

 

※また別の資料ではこう歌われています。

ニューヨーク市三十四番街にある物理療法リハビリテーション研究所の受付の壁にある南部連合の無名兵士の詩)

 

クレド(弱い者の信仰宣言)

 原詩:ある兵士の祈り

成功を収める為に神に力を願ったのに

弱くなってしまった 謙遜を学ぶように

偉大な事をする為に神に健康を願ったのに

病気になってしまった 神の心に叶う様に

 

私の願いは何一つ叶えられなかったけれど

希望した全てのことを私は受けた

 

幸せになる為に神に富を願ったのに

貧しくなってしまった 生きる厳しさ知る様に

弱い人を助ける為に権威を願ったのに

無力になってしまった 神に頼ることを学ぶ様に

神は私に必要な事何もかも知っておられる

希望した全てのことを私は受けた

 

人に尊敬される為に 神に手柄を願ったのに

ただ失敗に終わった 思い上がらない様に

聖なる人になる為に神に徳を願ったのに

罪の醜さに泣いた 神の愛の深さ悟る為に

私の姿は変わらない

弱く何も出来ないけれど

喜びに満ち溢れて私は歌う