aki100mac’s blog

日頃考えていること、体験したことをブログしています。

仕事とは

Tokyo Roppongi Hills


  これは、これまでどこにも発表していないものです。

大阪の某総合病院からのお誘いは、結局お流れになりまして、千葉県の独立行政法人 国保旭中央病院に赴きました。京都府の某赤十字病院などからのお誘いもあっていたのでしたが、結果的に、そのような流れに至ったのでした。

 

私に呼ばわる神様からの声     2014/8/25

 

人は誰でも、神様からこの世での仕事を与えられています。この仕事という言葉は、英語ではcalling、ドイツ語ではberufといいます。英語のcall、ドイツ語のrufenは、「神様が呼ぶ」という意味です。ですから、仕事とは、「神様から呼ばれてつくもの」だと言えます。

まさに、神様が「あなたはこれを生涯やり続けなさい。」とお命じになり、私たちはそれに従うということです。

私は、13、4才の頃に、将来は医師として働きたいと思いました。

現在、北九州市立医療センターというがんセンターのような病院で、「緩和ケア内科」の主任部長という肩書きで仕事をしています。主に、がんに罹り、余命が短くなってきた患者さんの痛みなどのつらい症状を和らげ、臨終の時までお世話することが私の仕事です。

 

最近ある夢を見ました。私が、新しい総合病院で、スタッフや学生さんに講義をしている夢でした。内容があまりにも詳細で、夢というよりも映画のワンシーンのようでした。

 この夏、8月最後の日曜日に、西南学院教会で説教を依頼されていますので、そのことが関係しているのでしょう。

 先日、牧師先生に、説教のタイトルとレジメをお渡しました。

タイトルは「余命3ヶ月からの生き方」です。

 最初は、「臨終への備え」だったのですが、あまりにも直接的なのと、聴衆はご高齢の方が多いので、少し婉曲的にしようと思いました。

 内容は、旧約聖書のコヘレトの手紙と、新約聖書ヘブライ人への手紙からを引用してのものです。コヘレトの手紙はウイットに富んでいて、私が好きなものです。3章第1節にはこう記載されています。「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。・・・神は全てを時宜にかなうように造り、また永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終わりまで見極めることは許されていない。」私はこの聖書の箇所を読むたびに、本当にそうだなあと思います。

 人生、健やかに生きることができても、たかだか80年前後、聖書には人は120才くらいまでしか生きられないと記載されています。悠久の時からみたら一瞬でしかありません。でも、その短い人生に、何かしら意味を、意義を見いだしたいのです。

 ヘブライ人の手紙11章22節には、「信仰によって、ヨセフは臨終のとき、イスラエルの子らの脱出について語り、自分の遺骨について指示を与えました。」と記載されています。これは人類最初の「事前指定書」ではないかと思います。

 今NHKテレビでは「軍師官兵衛」が放送されていますが、前回は吉川元春小倉城で臨終の時を迎えた際に、弟の小早川隆景に、これまでの仲違いを詫び、また毛利家の行く末を託します。

 ヨセフもイスラエル民族の行く末を案じ、エジプトからの脱出を指示します。また自分の遺骨についても、希望することを指示しています。余命3ヶ月くらいでそのような指示をしておくのがいいと思われ、「事前指定書」に記載しておくと、終末期の尊厳が守られ、また家族や友人も困らないと思います。

 この世からの引き際をどのようにプランニングするか、今から考えておくべきことでしょう。最初に「新しい総合病院」と記しましたが、今某病院の古い建物を、新しいものにするプロジェクトに誘われています。今度は「緩和ケア」だけではなく、病院全体のマネジメントをすることが求められます。これは私にとって大きなチャレンジです。大阪の地に立つその病院に移ることを決断しなければいけない時期にさしかかっていることが、私にこのような夢を見させたのでしょう。これは神様からの啓示だと、前向きに受け止めようと思いました。まさにberufenされているのです。