撮影場所は、独立行政法人 国保旭中央病院 本館4階の総合医局に併設されている図書室です。インターネットで世界中の医学論文に24時間接することができ、かつ、図書館司書の資格を持つ女性スタッフが日中は5,6名いて、彼女たちが日本国内及び海外からの医学論文を集めたり、論文の推敲を手伝ったりしていました。
また、この病院からのアメリカ合衆国やヨーロッパへの3ヶ月から6ヶ月の短期、中期ないし1年くらいの留学準備の補助を行っていました。
毎年行われている全国の研修医の成績では、10番以内に常時数名入り、私がいたときは1位、2位、5位を占めていました。
この病院の初期研修医に採用されるための試験が、毎年3回、東京都内で開かれていました。倍率は常に1,数倍でした。2倍を超えた年もありました。
1学年30名、2学年で60名、それに東京大学と自治医学大学からのたすき掛けの研修医を合わせると、70名弱くらいの研修医たちの総合医局で、そこには各科の上級医の席もあり、全部で120名くらいの医師たちがひしめき合っています。
32の診療科を有し、例えば、東京大学医学部の病理学教授が定年退官すると、旭中央病院のAutopsy(病理解剖室)に再就職していました。
臨床でも、学問的な研究でも、日本のトップクラスの病院だと思います。
この病院には常勤医が256名、非常勤の医師が同じく256名いまして、全て国公立大学の出身でした。
私学出身の医師は1人も採用されていませんでした。
彼らが700ベッドくらいの一般病室の患者たちを受け持ち、千葉県東部、茨城県南部からの重症患者が、病院に併設されているヘリポートにも、24時間引っ切りなしにやってくる救急外来での業務もありますので、救急部専属の十数名の救急専門医からも半端ない鍛えられ方をして、十二分な臨床の実力を身につけて、ここから全国に巣立っています。
初期研修2年を終える頃には、世界中何処に行っても負けない位の臨床の実力がついています。
私は彼ら研修医に、医療用麻薬について研修し、また年に5,6回開催していた医師への緩和ケア初期研修(いわゆるPEACE)を通して、緩和ケアについて教えることができていました。
撮影は、私がこの病院を去る日が近づいた、2020年2月25日です。
私も若い時は、全国のホスピス・緩和ケアの学会や研修会に積極的に参加し、会場では必ず発表者に質問することを自分に課していました。そのようにして、絶えずブラッシュアップすることが、実力を育むために必要であると認識しています。
また、得られた知見は、それを自分だけのものにせず、積極的に論文に纏めて、医療系の雑誌への掲載を目ざすべきです。
それとともに、指導してくださるメンターを探し、弟子入りをお願いし、一定期間は寝食を忘れて、臨床の現場で頑張るべきです。
ノホホンとした研修医生活を送っていると、数年後には、旭中央病院の初期研修医2年生にも負けてしまいます。
彼らの研修生活を支えている一端は、間違いなくこの図書室であり、図書館司書の資格を併せ持ち、研究、論文執筆の手助けをしている図書室スタッフの存在です。
このシステムは、なかなか真似ができませんが、ここに追いつく努力はすべきと考えます。
皆さまの参考になれば幸いです。