aki100mac’s blog

日頃考えていること、体験したことをブログしています。

緩和ケア改め、寛和ケアに。日本人は「和み」の文化を持つ民族。原点に戻ろう。

今日は、「緩和」ケアと言う言葉を考えてみます。そして、日本人が本来持っている筈の「和み」の文化を思い起こし、その原点に戻るべく、これからの日本の「緩和」ケアがもっと日本人に受け入れられるには何をしたらいいのか、考えて参ります。

日本では、ホスピス/緩和ケア=死が近い として忌み嫌われる傾向があります。

緩和ケアはPalliative Careの和訳であり、語源はラテン語のPallium(和らげる)というidiom(言葉)です。

以下に、西南学院大学のチャペルで講話をした際に纏められた2001年度チャペル講話集(35)の86ページを引用してみたいと思います。若干の改編をしています。

・・いったい、あなたを偉くしているのは、だれなのか。あなたの持っているもので、もらっていないものがあるか。もしもらっているなら、なぜもらっていないものように誇るのか。

 ーコリント人への第一の手紙 第4章7節(口語訳)ー

「・・・ローマ時代、貴婦人の ファビオラが、自宅を開放して、「行き場の無い人」、「夫を亡くした妻」、「出産が近い人」、「病気で困っている人」などを、手厚くもてなししてきました。

主にヨーロッパの修道院で受け継がれてきました。病気の人や身寄りの無い人を優しく看取りました。がんの末期の苦しみを和らげる働きをはじめたのは、ロンドンの聖ヨゼフホスピスです。そして、看護師でありソーシャル・ワーカーでもあり、後には医学部に入り直して医師になった、デイム・シシリー・ソーンダースにより聖クリストファーホスピスが1967年に創設されました。ここは今でも世界のホスピス運動の中心的な存在です。またたく間に世界中に広まり、やがて日本にも上陸しました。最初は浜松の聖隷三方原、大阪の淀川キリスト教病院などのキリスト教系の病院で始められました。その後は、公共の病院でも作られるようになりました。有名なのは、故日野原重明先生がお建てになった、完全独立型ホスピスの「ピースハウス病院」大阪の院内病棟型の「淀川キリスト教病院」のホスピスカトリックの「桜町ホスピス」があります。

 私は1981年に医師になりまして、今年で丁度40年目となります。最初は小児科医や新生児科医として、人の命の誕生を見守る仕事を選びました。その後並行して麻酔科医、救急医、集中治療医として、大勢の方々の命を守る仕事に従事してきました。1996年からはホスピス医、緩和ケア医として、主に人の一生の最期のところをお世話することを仕事にしてきました。多くの命の誕生に出会い、多くの方々のお世話をし、多くの方々の最期に立ち会いました。

 人はお母さんから生まれてくるときに呼吸の第一声を行います。肺がふくれることによって、息を吸い込み、吐くときにオギャーという声が出ます。幾十年かの後、息を引き取る時に人は最後の息を吐いて、それで一生は終わります。

 人生は一度きりです。その歩みがどうであったか、まさにそのことが一人一人にとりまして大事です。人生とは、命の連続です。

 ピースハウスが発行している「教育医療」という雑誌があります。2001年10月号に「天からの贈り物」というエッセイが掲載されています。作者は青山学院大学の野村裕之先生です。先生はこう言っています。「命という感じをよくながめてみますと、‘口’があります。そして‘口’を除くと、残るのは‘令’。つまり命令の令だった。この令という文字はどんな意味だったのでしょうか。上部に‘ひとやね’の形があります。これは人や物を集めるという意味で、‘会’や‘合’にもこれが見えます。下の‘ふしづくり’はお辞儀をする人の横姿。・・・こうして見ると、‘令’の字は、一つ屋根の下に集められ、礼儀正しく深々とお辞儀をする人の姿を写していることがわかります。‘命’とは‘口’で発せられた‘令’のことだとわかりました。」

 さて、その命を発しているのは一体、誰なのでしょうか。古代中国では究極の存在である「天」です。「天命」という言い方も納得できるでしょう。命は偶然の産物でも、自分の所有物でもなく、天からの授かりものであって、およそ命あるものは「天」からの「生きよ」という「命」を帯びている。それが生命です。これは古代中国のものですが、聖書の考え方とも驚くほど共通しています。聖書でも神様のことを「天の父」と呼ぶことがあります。

 神様が人間の寿命は一体どれほどに設定しているのでしょうか。現代の医学をもってしても、人間の寿命は百二十歳を超えることは希です。このことは旧約聖書にもはっきりと明記されています。実に驚くべきことです。いかに医学が進んでも、現代医学にできることは、天から授かった寿命を全うするようにお手伝いをするだけです。命の不思議さとは、私たち一人ひとりが、この世に生まれてくる瞬間から始まります。日々生活している瞬間瞬間も生かされているという不思議さがあります。寿命がいつ尽きるか、これは当人にはわかりません。神秘ともいえる寿命が尽きる時が来て、命を神様に返す。・・・私は自分の仕事としてのホスピスでの経験から「死ぬことさえも神の計画にある。」と思います。

エス様は、「疲れたものは私の家に来なさい。わたしがあなた方を休ませてあげよう。」

と言われました。

私がホスピスや緩和ケア病棟で仕事をしていて、よかったなと思えるのは、病気の終末期と言われてホスピスや緩和ケア病棟に来られた方が、寛ぎ、にこやかに過ごし、ご家族も十分に憩われているのを見るときです。

 ある方はこんなことを言われました。「先生、ここはいいですね。私を一人の人間として扱ってくれます。」と。死に逝く人がいて、私たちスタッフはまだ死んだことがないので、そういう意味ではその方々は人生の先輩にあたるわけです。 死に逝く人に対して、人格を持った大切な人として接し、安らかな道のりを歩んでいただけるようにサポートしてゆくことが大切なのではないかと考えます。

 世間一般の人たちが誤解しているように、私たち医師や看護師、薬剤師でも、緩和ケアという言葉にマイナスの気持ちを抱いてしまうことが多くはないでしょうか。

 そうではなくて、本来の意味、PalliumするCareを判りやすい表現にするのであれば、       「寛和」という言葉が適切だと考えました。

すなわち、「緩和」ケアから「寛和」ケアに換えていこうと思います。

 そして、緩和ケア病棟の名称を「和み」にして、単に緩和ケア病棟の施設基準を満たすだけではなく、入ってこられた患者さんが、十分に「寛ぎ」、「和め」るように、設備や運営方針を定めていきます。

 そこには、人の日常生活に必要なものは揃っていなければなりません。

お風呂は重要です。「和みの湯」に、特殊浴槽を設置し、付き添っているご家族も利用できるシャワー設備も必要です。また、音楽コンサートやマジックショー、ちょっとした演劇など、各種の催しが開催できるホール、コーヒーや紅茶、軽食が利用できるラウンジ、防音室、瞑想室、ボランティア室、2つ以上の家族室、洗濯乾燥室、映画室、中会議室、小会議室、デイケアホスピスに必要な芸術的な設備、庭園、柔らかい音色のピアノ、パストラルケア室などなど。

また単なる緩和(寛和)ケア病棟だけではなく、「緩和(寛和}ケア支援センター」も併設していきたいと願っています。これには、在宅ケアを受け持つセンター的な部署が含まれます。患者さんやご家族やケアマネージャーなどからの電話での相談や面談での相談を受け持つ部署、緩和ケアの教育センターでの医師、看護師、薬剤師、介護スタッフへの教育部門も大事です。

 筑豊における緩和ケアのオピニオンリーダーとして、また、田川市立病院の新たな役割を担う部門として、そうですね名前を付けるとしたら、「緩和ケア総合センター」の構想を進めて参ります。

田川市立病院副院長(緩和ケア内科)

小早川 晶