aki100mac’s blog

日頃考えていること、体験したことをブログしています。

緊急公募❗

田川市立病院緩和ケア病棟内 多目的室です。


田川市立病院の緩和ケア内科で、私と一緒に働くお医者さんを緊急募集します。

私事で恐縮ですが、今年古希を迎えます。本日、自分の両親と2人の伯母たちのお骨を納めるべく、また私たち夫婦のお骨もそこに一緒に納めるべく、福岡県内で1,2を争うほど大きな公園墓地に契約しに参りました。本日無事に終了しました。これで、私の肩にこれまで重くのしかかってきた課題、「小早川のご一統様のために、私がお墓を建てなければならないこと」、その課題が解決します。たぶん。

 私はこれまで研修医時代、ある大学の医局の旧態依然たる医師派遣制度により、不本意な転勤を余儀なくさせられました。その後、某大学の大学院での研究成果を発表した、現在のPayPayドームでの基礎医学系の年次大会で最優秀発表賞をいただき、それで、この研究は終わりと思いました。それで、年期を半年余したところで、その大学を辞し、ホスピスの道に進みました。途中で日本でも緩和医療学と名前を変えました。

それからは大学の医局に頼ることほぼほぼなく、医師としての人生を歩んで参りました。そろそろ、私が本当にしたかった、いえ、これからしたいことにとりかかる準備に入りました。

 同級生が管理者を務める田○市に、彼が希望し、実現させてほしいと願った、緩和ケア病棟を造るというミッションは、完成させました。

 あとは私のあとに続いてくださる若い医師にバトンタッチすることです。もしもそのような医師が得られなかったとしたら、そこは主治医を各科で持ち上がる形式にすれば済むことです。どういういことかといいますと、前職、国保旭中央病院では、このようでした。

 まず外の病院も内科からの依頼ですと、その病院の内科の主治医が、旭中央病院の相当する内科宛て、診療情報提供書を記載し郵送し、Faxでも知らせます。そうして、まず緩和ケア内科に紹介されてくる前に、内科の医師が、その紹介状をもとに本人やご家族と面談します。その際に、病院に患者さんは登録されます。その後緩和ケア内科外来にて私が面談しますが、担当医はあくまで各科の医師です。ですから、緩和ケア病棟では主治医、担当医はあくまでも各科の医師であり、私は緩和ケアのオブザーバー兼実際に緩和ケア的な薬を処方したり、持続皮下注射の注射をオーダーするわけですね。それで20床、ほぼ60%から70%くらいの充足率でしたから、12ベッドから14ベッドでしょうか。それでそんなに負担なく勤務できていました。

 ところが田川市立病院では、緩和ケア内科医は私独りですが、全ての患者さんが私が担当医になっていますので、ものすごく忙しいことになってしまいました。

旭中央病院では、患者さんがお亡くなりになると、私が勤務している日中であれば、ほとんど私が死亡の確認をしていましたが、金曜日、土曜日、日曜日、平日の夜間、祝祭日は全面的にその日の当直医で、内科系、外科系の医師がそれぞれ当番月を奇数月、偶数月で決めていました。そうして当番月の医師が死亡確認をしていました。

勿論院内から持ち上がった患者さんの場合は、よほどのことがない限り、そのもともとの担当科の医師がその任に当たっていました。

 私は現在、緩和ケアでの訪問診療もしています。旭中央病院では課せられていなかったのですが、次第にその仕事の負担も増してきています。

 従って、4月3日からは食事をする時間もないくらい毎日毎日働いています。うっかり昨晩死亡確認をしていただいた医師に「ありがとうございました。」という間もないくらい朝から大車輪で、緊迫して仕事をしています。

こんな私を憐れみ、「小早川先生、お疲れ様です。一緒にやりましょう。」と言ってくださる、心優しき医師を緊急大募集します。

 このままでは私の心と体と頭が持ちません〜ン。

金曜日は研究日です。文字通り、福岡市に出かけ、西南学院大学図書新館、旧館、それに福岡市立総合図書館、福岡県立図書館、それにオンラインで東京の国立国会図書館で研究しています。また後期、9月から翌年2月まで、西南学院大学で、老年学と医学一般Ⅱの講義を受けもちます。

「医療哲学Cafe」これは京都大学医学部の友人である某教授の訳したWhole Person Careを下敷きにして、哲学を展開していこうとしています。最初は病院のアカウントを使う予定でしたが、今後のことも鑑み、私のアカウントでいきます。

時期が来ましたら、お知らせします。

私が70才を超えてくる今年こそ、本当にしたいこと、したかったことにチャレンジするべく、プランニングしています。74才まで できれば、ですが、常勤医を続け、もし叶わなければそれはそれどもいいのかな。そのあとは年金+ときどきお医者さん、このスタンスで生きていきたいものです。