aki100mac’s blog

日頃考えていること、体験したことをブログしています。

戸畑 中本町商店街の想い出

昭和38年当時、戸畑の街は賑わっていました。私の家は、厳格な父親に完全に支配されていました。外出は届け出が必要で、行き先も、図書館と書店のみ、小遣いは原則無し、本の購入のみ許されていて、理由を申請し、基本的にはバス代をコミで貰いました。そのお金を握りしめて、向かう先は、大抵は戸畑市立図書館か、中本町商店街の本屋さんか、電車通りに面して建っていた本屋さんだけでした。
 中学生のとき、古代マヤ文明に興味が出まして、当時戸畑駅から国道を挟んで栄えていた、中本町商店街の本屋さん、名前は失念しましたが、そこで、「マヤ文明」という新書版を見つけました。繰り返し繰り返し読んだものです。
 その書店では、「東大駒場」という新書も手に入れて、旧制第一高校だった頃の駒場、それから戦後の駒場と学生たちの治外法権的で自由な考え方に共鳴と憧れを抱きました。
 大学浪人1浪目は熊本の壺渓塾に行きましたが、そこでは学籍番号はBの3でした。どういうことかと言いますと、Aの1が全体のトップで入塾したということで、Bの1が全体の2番、ですから私は全体の6番だったんですね。その年の熊本大学は100名の合格者を生んだのですが、そのうち、この予備校の出身者は89名で、残り11名は全員ラサールの現役生だったのです。私は試験当日扁桃腺を腫らし、高熱の中受験しましたが、数学でいつもなら是対にしない凡ミスをしてしまい、5点足らずに不合格になってしまいました。もともとあまり行く気の無かった大学でしたから、それはそれで良かったのですがね。
 その時に、担任の先生からは、「小早川君、君の成績だったら、理科三類にももう少しで手が届くよ、頑張りたまえ。」ということでした。
 大学浪人2浪目の秋、関西模試で、全国11位に輝きましたが、私の名前の前後は、全て灘高校のおそらく現役の諸君で、私だけぽつんと戸畑高校と記載されていて、「よっしゃー」東大理科三類の合格圏内だぞと奮い立ちました。
 諸般の事情で、その夢は叶いませんで、まあ九州大学を目指していた諸君には申し訳ないですが、あのとき同時に合格していた自治医科大学(私の中では関東圏)に進学すれば良かったとずっと悔やみました。
しかし、私の弟が小倉高校から、理科三類に、医学部に進学してくれました。私だって・・、チャンスがあればできたはず、未だに思っています。チャンチャン。(*^。^*)

f:id:aki100mac:20220417052802j:plain

近年の中本町商店街です。西日本新聞の記事から転載します。