aki100mac’s blog

日頃考えていること、体験したことをブログしています。

たかが書斎、されど書斎

天籟寺小学校時代、天籟中学校(随分前に廃校になっています。)時代、また戸畑高校時代、我が家は、教会に併設されていた牧師館でした。ヴォーリス設計事務所の手になるその家は、2階立ての洋館でした。もともと書斎は造られて無く、父は、ある年、自分で設計図を引き、自分1人で書斎を建て増ししてしまいました。勿論基礎は業者さんの手が入りましたし、左官屋さんの手も借りていましたが、基本的には父が電気工事から何から全て自分で造りました。
 父は昭和20年夏、海軍の回転魚雷の乗組員(といえば聞こえはいいのですが、要は特攻隊員)だったのを、乗り込む潜水魚雷艇が無くなってしまい、九死に一生を得たのでした。宮崎の郷里に無蓋列車に乗せられて、途中広島駅で一晩過ごしたそうです。広島駅から、そのまま海が、瀬戸内海が見えたそうで、「新型爆弾(原子爆弾)で街は全滅したんだな。これでは日本帝国が戦争に負けたのは仕方がなかったのだな。」とそう思ったと言っていました。
 そして宮崎に戻り、何もする気が起きず、翌年だかに現在の宮崎大学の工学部に入ったのですが、同級生には「ゲートルを履いたままの元軍人もいて、とても勉強する雰囲気では無かったな。」ということだったのでした。2年くらい、建築や電気関係の勉強もしたと言っていましたから、後年牧師になって、牧師館の書斎を建て増ししたときも、それから2階の部屋と部屋の間の壁をぶち抜いて、そこに自作のガラス戸を造ったときも、簡単な設計図だけで、本職顔負けのものを造ってしまいました。
 そうして自ら拵えた書斎で、ヘブライ語ギリシャ語、ドイツ語を熱心に勉強し、神学を究め、その上イエス様が喋っていたエフライム語まで、世界に3つしかないというコーティナフォンのLPレコードをヘブライ大学からでしたか、取り寄せて、これも研究していました。
食事が終わると、書斎に籠もり、ひたすら研究していました。バッハやモーツアルトのLPレコードをかけることもありました。また日本文学全集、世界文学全集、哲学関係、キリスト教神学関係、内村鑑三氏など無教会主義の人たちの書籍、いろいろな言語の辞書、バイブルの注解書、特にギリシャ語の書籍が所狭しと、うずたかく集積していました。そういった本の、書類の山に囲まれて勉学、研究しているときが一番幸せそうでした。
 ひと言で言って、市井の研究者だったです。
私たち兄弟は、そのような父の姿を見て、育ちました。
 ですから、家で勉強するのは当たり前、本を読むのが自然なことでした。私自身は、家でそんなに勉強していたとは思いませんが、私の子どもたちは3人とも、勉強しなさいと言ったことはなくても、勉強はしていました。特に長男は、某病院の医師寮の婦人たちから「天才◎君」と言われていたそうです。
 インフルエンザで、現役では合格しなかった、地元の超難関の国立大学の医学部に進学し、6年で卒業し、大学院にも進学し、UCLAに留学しました。
 彼の論文は、ランセットやネイチャーに掲載されました。今も「研究が一番好き」だそうです。
 また次男は、福岡市内の高校で野球部の部活を熱心にやり、高校3年生で悲願のレギュラーになりましたが、それも県大会が終わり、3年生がその活動を卒業した9月30日に私の所にやってきて、「お父さん、明日から死ぬ気で勉強します。」と言って、本当に死に物狂いで勉強し、そして、翌年現役で国立大学の工学部に進学していきました。
 戸◎建設で、高速道路を通したり、トンネルを建設したりしていました。2年くらい前に、国家資格である「技術士」の試験に、これまでの記録を破る全国最年少で合格しました。東大の工学部の教授が不合格になった、そんな超難関の試験です。戸◎建設の入社試験でもトップで、東京本社で行われた入社式では、右総代を務めたそうです。頼もしく育ちました。大学生時代はモデルも少しやっていたそうですが、現場で作業着姿、ヘルメットで頑張っています。今は風力発電のプロジェクトマネージャーとして、持続可能なエネルギー開発に携わっています。
 こうして見ますと、私が倦まずたゆまず医師としての生活をしてきたこと、その背中を見せてきたことが、彼らのモチベーションにも少しは寄与しているのではないかなと思いたいですね。
 三男は、ちょっと個性的で、自分の信念を曲げないところが、やはり私に似たのではないかな、と思います。最近起業しまして、一応CEOとなりました。まだまだ、何者でもありませんが、そのうち芽が出てくるのではないかと期待しています。
 私の母親も、幼児教育に夢中でした。皆が寝静まった夜中に、お布団の中で、仏蘭西の、また自由学園の幼児教育に関する書籍を勉強していました。また、通信教育で、そうした知識を得ていました。
 人間は、一生が勉強だと、小さいときから親の姿をみてそう思いました。これから、孫たちに、そうした姿を見せることができますように、勉強していきます。
 父親が、文語体の旧新訳聖書の表表紙裏に、論語為政編より、添付した写真の文言を、万年筆で認めて、私に贈呈してくれました。
 また、旧日本帝国海軍の「五省」(これは、海上自衛隊の幹部候補生向けに伝承されているようです。)を、半紙に認めて、私に持っておくようにと言いました。
 今でも大切に持っています。
このようにして、ほとんどスパルタ式の教育を受けた私ですが、自分の子どもたちには、その教育方針は受け継がず、割と自由にやってきたつもりです。
 しかし、どこかで、なにがしかの影響を及ぼしていると思いますし、どうも孫たちにも、なんとなくですが、受け継がれていっているように思います。 
 私もふと気づけば、父親の書斎のような設えを、自然としていますね。やはり、教育の力は大きいですね。

田川の住居 書斎風景

父から贈呈された文語訳の旧新訳聖書

論語 為政編より 小早川俊男 揮毫

旧日本帝国海軍 五省