aki100mac’s blog

日頃考えていること、体験したことをブログしています。

人生の春休み

大分県直入町、大丸旅館の書斎です。

今大分に来ています。東九州九州自動車道で、別府湾が近くなったとき、クルマのラジオがFM大分の電波を受信しました。ハイファイセットの懐かしい歌声が、聞こえてきました。
荒井由実作詞作曲の「最後の春休み」です。直入町の宿、BBC長湯の部屋に落ち着き、書斎で、M1 MacBook Pro 14を開けました。
 「最後の春休み」を検索しましたら、 YouTubeにある動画がアップロードされていたのですね。その動画が作成されたのが1977年頃でした。
私は、その頃医学部の2年生でした。私が通学していた医学部の雰囲気に全く馴染めず、旧医学部図書館の1階にありました「九大医報」の編集室に隠り、明治、大正、昭和の初期にこの雑誌に投稿された医学に纏わる玉稿を読んでいました。
 その当時、「文筆を生業として生きていきたい。」と思っていましたが、考えてみますと、緩和ケアの分野で数冊の書籍を出版できましたし、主に看護学雑誌にも私の思い描く世界の一端を披露できました。
何より、私が敬愛して止まない故日野原重明先生から、聖路加国際病院の理事長室で、「小早川君、君の書くものには他の人にはない煌めきがありますよ。私は君の書いた書籍のコラム欄のファンでね、あれは凄いですよ。私が理想的な医学部を創りたいと思っていますが、君には是非教授になっていただきたい、そう思っています・・・」と仰っていただきました。それで、私の気持ちはスッと浄化されていくのを感じました。そうなんだ、では東京に出てみましょう、とね。それから、漂流を重ね重ね・・。
  まあ、何とかかんとか医学部を卒え、医師として生計を立てつつ、子どもを3人も社会に送り出せました。良かったんだ、とそう思うようにしています。
 仕事は、身体が元気で、思考力が保たれていれば、生涯現役でいきたいな、そう思っています。
今年は古希となりますから、私の人生も昔ならばとっくに終焉となっている年代にさしかかります。
 そんな私が、今日「最後の春休み」を聴いたのですね。久しぶりの温泉にゆっかり浸かり、それで眠くなって、午後9時過ぎには眠ってしまっていたのですが、1時過ぎに目が覚めました。それでユーミンの「最後の春休み」のピアノ譜をダウンロードしたり、 YouTubeを観たりしていたのです。
 そして、そうだ、「私の最後の春休み」というフレーズが頭に浮かんできたのでした。
「人生の黄昏時の春休み」
 木蓮の白い花びら、桜の仄かなピンクの花びら、そして山の清涼な空気、芹川の清流、温泉、ツグミホトトギスの鳴き声、遙か上空に聞こえるジェット機の音、いろいろな音に囲まれていた昼間と違い、シンとした真夜中に原稿に向かっています。
 「最後の春休み」・・、人生も春休みがあったっていい、そんな気持ちになれました。
さて、温泉地の空気を纏い、世間の垢を落とし、また今日から歩いていきましょう。