Thank you Message
うちの緩和ケア病棟は、病院の最上階にあります。
エレベーターを上がってすぐのホールに、こんな大きな紙が貼ってあります。
その名も「Thank you Message」
これは患者さんやご家族から、スタッフに向けた「ありがとう」のメッセージですね。
いわばフェイスブックなんかの「いいね」みたいなことでしょうか、ね。
これを見て、スタッフがやる気になるといいますか、そんなものなのかな。
勿論、「こうしてほしかった。」とか「ここをこうしたらもっと良くなるんでは」などの声もあると思うので、そういった記事も載せていくんでしょうね、きっと。
つい、ホスピスや緩和ケア病棟というと、デスカンファレンスなどで、なんとなく「重たい感じ」になることが、これまでに私が経験してきた施設では多かった印象があります。
ですから、このメッセージを見たときに、「あ、これは、いいな。何だかこれまでとは違う、明るい緩和ケア病棟になりそうだぞ。うちの看護師さんって、偉い。」ってそう思いました。
ありがとうと言われると、嬉しくなりますもんね。
でもね、まだまだだぞ〜って、少し意地悪いことも考えてしまいます。
バラ色の事ばかりでは無く、止めてくれ〜って叫びたくなるようなことが、緩和ケアでもといいますか、ホスピス・緩和ケアだからこそ、あるのじゃないのかな。
よくあるのが、医師から、「◎×に行って、栄養をつけて、体力が戻ったら、また化学療法ができますよ。」とか、「今は無理だけど、体力がついたら放射線治療ができますよ。」とかお為ごかしのようなことを言われて、その気になった患者さんとご家族が緩和ケア外来に現れたときとか、ですね。
もうどうしようもない、癌末期なのは明らかで、「どこをどうやったら栄養をつけられるんじゃい❗え〜、いい加減なことを言うんじゃないよ、ええ❗」と叫びますね、私は。
まして、そんな紹介のされ方をしているのに、平気で緩和ケア外来に繋いできてしまうスタッフの無神経さにも腹が立ちますね。
私の広島の孫は、コロナ禍で2才の頃、「無理無理、って言ってんだよね。友達が、私に会おうって言ってくるんだよね、無理って言ってんだよね。」と断言している動画があります。
あれを見ると、遺伝って恐ろしいな、って思いますもんね。
私も、声を大にして叫びたい、「そんな夢のようなことを求めて、緩和ケアの外来に来ても、無理❗です。」
そして、そんな紹介の仕方をしてくる無神経な医師たちに、「ちゃんと本当のことを言いなさいよ。ウソをつくんじゃないよ。本当のことの伝え方、ちゃんと勉強しなさいよね。」と青筋を立てて怒りたい、そんな今日この頃です。
まあ、そんな中、うちの看護師さんたちの、突き抜けたような明るさは、いったい全体何なんでしょうね。
炭鉱の閉山が相次ぎ、労働争議が頻発していた頃、落盤事故なんかも頻発していましたから、今日生きていればまるもうけ、そして、何事も素早く、明るくやってしまう気性というものが、ここには育まれているような気がしています。
まあ、私のせっかちな性格が、合っている風土かなって思いますものね。
さて、明日に向かって「出発進行❗」って、これ、カリフォルニアに旅行した私の長男の孫娘が3才のころに、アメ車に手こずり、もたもたとしていた長男の後輩の医師に発した言葉です。
小早川家の若い女性たち、みいんな、女傑ぞろいときたもんです。
まあ、これも遺伝でしょうね。
私の父方3人の伯母様たちときたら、とんでもなく気が強いなんてものじゃない、腰を向かすくらいの勇ましい方たちでしたからね。
まあ、わたしのたまの癇癪なんてものではない、筋の通りまくった怖いかたたちでした。
そこに行くと、私の母親は、言ってみれば「マリア様」か「菩薩様」かというくらい優しい女性でした。
今度の金曜日、6月9日が、キリスト教式に言いますと、母親の記念日なんですね。
この年になっても、甘えたい気持ちが湧きますね。母親っていいものです。
本当にアガペーの愛によって、我が子たちを愛していたんだなって、初めてわかってきました。
今太宰府に、私たちのお墓を建てています。その中に安置し、「待っててくださいね、程なくして私も参りますから。」という気持ちになれます。すると不思議と穏やかになれますね。
これからもいろいろありそうですが、終着点が判っていますからね、安心です。
医療哲学Cafeが開店しました。
北九州信徒聖書学校教師小早川俊男牧師と旧姓中村仁子の思い出
今日の私のakimac`s100 blogをみていただけたでしょうか?
私のスマホ、買い換えます。それと門司港ホテルラウンジ「Tempo」
戸畑図書館と和菓子屋「大元」の銘菓
Tempo(間)よく
同窓会、出席できて幸せでした。
安西 水丸さんの「たびたびの旅」のような本を、僕も創りたい。
皆さん、お元気ですか。
今日は5月27日、土曜日です。
田川で書いています。
ここに転居してきて早3年が過ぎました。
福知山、香春岳、遠くに英彦山を望み、目の前を英彦山川が流れ、雲は近くの山々から湧き出で、近い空をポッカリポッカリ流れていきます。
朝は、ヒバリや雀たちの合唱で目覚め、昼はカラッとしたお日様のひたすら元気な光線に照らされ、夕方は赤とんぼが舞い、夜は満点の星空を眺め、自然の息吹にドップリと身を浸しています。
ここのサイト以外にも、あちこちで書いてきたものを一つに纏めてみようかな、最近そのように思います。
いわば、自分の著作集ですね、それを完成させてみたいと願っています。
そして、その中から、小学生でも読めるような文体にして、自分としては、小学生や中学生、高校生にこれを読んで欲しいな、そんな文集みたいな小さな本を作ってみたいものです。
具体的なイメージとしては、安西 水丸さんの著書、「たびたびの旅」のような小さいけれど、しっかりとしていて美しい装丁にすることができたら最高です。ちなみにこの本のサイズは、12cm×15.4cm×1.5cmくらいです。
そう言うわけで、このブログでとうとう99まで来ました。
あと一つで、それはたぶん今晩あたり・・、で100に到達しますね。
小早川晶方式がん性疼痛緊急治療法で痛みがゼロになり、生活を楽しむ余裕が生まれています。
某病院から紹介されて、私たちの緩和ケア病棟に入られ、「全身が痛い」と泣いておられたAさん、愛するWife 、Daughterとともに、1週間生活されておられます。前の病院では、酷い痛みに対して、カロナール錠の頓服しか出されていませんでした。痛みをちゃんと評価していなかったですし、そもそも患者さんの「痛い」という言葉をまともに取り上げていなかったのです。
患者さんの痛みをちゃんと評価していなかったのは医師だけではありません、その病院の看護師もそうでした。
そこは大きな総合病院ですので、緩和ケアチームがあることを知っています。でも、あるだけで、ちゃんと機能していないと言わざるを得ません。
「(NRS)10以上痛くて痛くて死にそうです、殺してほしい。」と呻いておられたのですが、「小早川晶方式がん性疼痛緊急治療法」で、転院されたその日のうちに、「痛みが消えましたありがとうございます。」と顔をくしゃくしゃにして喜んでおられました。
1日が30時間だったり、10時間だったりしていますが、とりあえずは「痛みはゼロ、全くありません。」と屈託無い笑顔です。
今ではお風呂を楽しんでいます。「身体を動かしても痛みはありません。」と。Wifeは、「ここに来て先生に痛みの治療をしてもらえました。すぐに痛みが消えて、笑顔が戻りました。ここに来て良かったです。」と感謝されました。
今は、大きな液晶テレビで、大谷翔平さんの特大のホームランも楽しめます。好きな映画もご家族で思う存分観ておられます。一家の団らんが戻ってきました。
そして、今週土曜日には、結婚53周年のお祝いが待っています。
当院の緩和ケア病棟で、最初の「イベント」になりますね。
緩和ケア病棟のスタッフ全員でお祝いできるといいですね。
おめでとうございますお二人に、またご家族に幸多かれとお祈りします。
それにしてもです、がん性疼痛治療には、段階を踏んで、ゆっくりと対処できるタイプの痛みに対する治療法もあります。他方、とんでもない痛みが襲っているときには、私が編み出した「小早川晶方式がん性疼痛緊急治療法」で、できるだけ早く痛みを消し去る努力をすべきです。
よくあるのが、今は夜だし、朝が明けてから、上司とも相談をして、それから考えればいい、と痛み治療を先延ばしにすることです。
とんでもない痛みに襲われている患者さんの「今」に対処する気がないのです。「今そこにある痛み」に対処できないようでは、「医療者」として失格です。厳しいことをいうようですが、夜中痛みに苛まれる患者さんを見捨てているのと同じです。
それと、医師にありがちなのが、自分の専門分野に拘り、患者さんの「今」を看ていないことです。例えば消化器内科の医師が、「モルヒネを使うと消化管の動きが妨げられて便が出にくくなる。それはまずいので、消化管に比較的影響が少ないフェンタニルにしよう。」と断定してしまうことです。
あと1,2日で臨終を迎える臨死期の患者さんにとっては、「消化管を動かして便を出すこと」がその時点、「今」を生きている人への対処法ではないはずです。「今」は、癌末期で、「身の置き所のない苦痛」に喘いでいる患者さんの、最期の苦しみにすぐに対処すること、それこそが必要なことです。
そして、WHOの「緩和ケア」についての定義を忘れている、あるいは知らないことです。
日本ではPEACEといって、「医師への緩和ケア初期研修プログラム」を受けることが義務化されています。
そこで、勉強している筈なのですが、1日の研修が終われば、もう忘れてしまっています。多くの医師にとって、あれは単なる「通過儀礼」に過ぎないのでは、そう思ってしまうくらい、臨床の現場では、「あなた、ちゃんとPEACE受けました?」と訝しみ、落胆することが多発しています。
「緩和ケア」の定義には、なんと記載されていますか?
あらためて「緩和ケアの定義」を私の最近の著書「老いの緩和ケア」から引用してみます。
『The goal of palliative care is achievement of the
Best possible quality of life for patients and their families.
緩和ケアの目的は、患者と家族の可能な限りの最良のクオリティ・オブ・ライフの達成である。(私訳)
Palliative care affirms life and regard dying as a normal process;neither hastens nor posptones deatsh;provides relief from pain and other distressing symptoms;integrates the psychological and spiritual aspects of patient care;offers support system to help patient to live as actively as possible until death;and offers a support system to help the family to cope during the patient`s illness and in their own bereavement.
WHO
緩和ケアは生命を肯定し、死を自然の過程とみなし、死を急がせることもせず、延ばすこともしない。
疼痛や他の不快な症状を緩和し、精神的なケア、スピリチュアルなケアもその中に包括される。
患者が死ぬときまで、できる限り活動的に生きることができるようにサポートし、彼らの家族に対しても、患者の闘病期間中はもとより、死別後も家族が悲嘆を乗り越えられるようにサポートしていく。
WHO(世界保健機構)私訳
・・緩和ケアはend-of-life care(エンド・オブ・ライフケア)において、普遍の力を発揮しているのです。』
人生の最期の段階で、がんなどに蝕まれてしまった身体が発する苦痛を最大限に緩和してこそ、BST(Best Supportive Care)であり、Palliative Careなのです。
「痛みの治療の変更は明日にしよう」とか、「消化管を動かなくするのはまずいので、痛みは緩和できないかもしれないが、フェンタニルにしておこう。」などと考えては、それこそまずいのです。
「今何が患者さんにとって必要なのか?」それを考えることこそが、「マインドフルネスにある深い気づきと臨床的調和」を唱えるwhole person careの出発点です。
私は、こういった臨床的なヒューマンエラーは現状維持バイアスや認知バイアス、自信過剰バイアスなど、いろいろなバイアスが私たちにあることを素直に認めて、ではどうすればいい
のか、虚心坦懐に自らの至らない所に思いをいたし、そして仲間と共に前に向かって進んでいく勇気が必要だと思っています。
私が編み出した「小早川晶方式がん性疼痛緊急治療法」の具体的な事については、今後勉強会などで開示していきます。乞うご期待。
さて、今日はこれから戸畑高校28会の同窓会が小倉であります。平成17年、2005年6月11日、ホテル京阪で、戸畑高校を1970年に卒業して35年の同級生が集いました。
その記念誌が今手元にあります。その巻頭言の中で、「・・この京都大会で同窓の仲間が“今生きる喜び”を心と体で感じ取ってもらえる感動の場になれば、これ以上のことはありません。(当日のパンフレットからの抜粋)」とあります。
そうなのです、「今生きる喜び」を、届けることが、私たち医療者にはとても大切ですし、それが私たちが医療者になったきっかけだったのではありませんか。
自分の専門分野だけに思考を留めず、もっと広く、大きく、高く、自らの頭で考えていこうではありませんか。
Let` Go❗