aki100mac’s blog

日頃考えていること、体験したことをブログしています。

ある日の緩和ケア内科外来・・

田川市立病院の朝、夜勤の看護師さんがスマホでパチリ

ある日の緩和ケア内科外来・・

ある基幹病院から紹介されてきた母と娘のお二人。

外来の部屋に入っても、何だか落ち着きません。

私は、外来に入ってこられてお二人に、こんにちは、緩和ケア内科の◎◎です。

宜しくお願いします。

今日来られたのは、なんとお呼びしますかね、◎△□◇さんですね。ご本人ですか。

ああ、そうなんですね。

それから、隣におられるのは・・、そうですか長女さんですね。

本日は、わざわざ来ていただいてありがとうございます・・・、といつものように外来を始めようとしましたが・・

 うん?何だか雰囲気が・・、挑戦的な視線だし、弱ったな〜と思いました。

それでも気を取り直して、最近オンラインで始めたばかりのwhole person careのテキストにも確か書いてあったぞ、・・困難なケース、もうだめというような人が目の前に現れても決して投げ出すな、だったか、どうもちょっと違うような気がするが、でもそんな意味じゃないのかな、など考えまして、気を取り直し、外来を進めていきました。

 受診前に採血していましたので、血液検査の結果を見ました。まだ肝機能などの数値が出ていませんでした。

 私は、紹介されてこられる患者さんたちの半分くらい、あるいはもっとかな、かなりの割合で、ご自分の病状を正確には捉えていない、そんな現状を各地の緩和ケア内科外来で体験してきました。3年と3ヶ月近く、当地で緩和ケア内科外来をしていますが、やはり同じです。

 皆さん、血液検査や画像診断の結果説明をちゃんと聴いておられないのか、あるいは医師がちゃんと説明しておられないのか、あるいは両方なのか・・。

 それで、ご自分の病状が理解できていないまま来てしまうと、そのかたがたが求めているQOLと緩和ケア病棟側が提供できることとのギャップが生じてしまいます。

 それでは、満足した滞在とはならず、混乱の元になります。過去にそういった騒動に巻き込まれて、ほとほと嫌になり、離職していった優秀な看護師さんたちを思い出します。

それではいけません。

私は、国や県や地方自治体から託されている、貴重で数少ない「緩和ケア病棟の病室」を、ちゃんと病状理解しておられて、真に希望しておられる方がたに利用していただくことにしています。それは病院の貴重なスタッフを守ることにも繫がります。

 それで、提供されていた画像、その中でも私が重視している頭部、胸部、腹部、骨盤のCTを、実際に見るのはその時が初めてになりますので、「さきほどいただいたCTの画像の取り込みが終わりましたので、一緒に覧てもいいでしょうか?」とお断りをして、覧ました。

 すると、あとで確認したのですが、その病院の放射線科の読影結果には記載されていないところが見つかりました。

少量の胸水ですね。ごく少量ですのでまだ症状としても顕在化していない様子です。

 独り言を言う癖というのでしょうか、心の声がつい出てしまい、胸水ですね、咳とか息苦しさはありませんか?とお訊ねしました。 すると、「え、胸水なんですか?ワ〜、やっぱり、こんなところに来なけりゃ良かった。」とご本人だけではなく隣に座っている娘さんまでもそんなことを言うのですね。大声で。遠慮というものがありません。

いえね、ここ筑豊に来て3年と3ヶ月、もう当地の人々の直截な物言いには慣れたつもりです。つもりだったのですがね、それにしても、ね。初対面の医師に向かって、「来なけりゃ良かった、」とはね。ね、ね、そうお思いになるでしょう?え、そうではないって?

 そんなことはあたりまえ、そうですか、それは失礼しました・・。

 私はもともと堪忍袋の緒がとっても小さいのですね。すみませんね。

それで、「あ、そうですか、お帰りになりたいのであれば、いいですよ、どうぞお帰りください。では、これで終了しても宜しいのですね?」とお話ししました。

 「あ、でも折角先ほど血液検査をしてもらいましたたから、その結果の説明を聞いてからでもいいのではありませんか?」と申しました。

 それでPCで画面を呼び出しました。その数値を見て、私の判断ですが、と前置きして、

「先ほど、5月に◎科の先生から、外来で、あと6ヶ月は生きられない、と言われてしまったとのことでしたが、私はこう思っています。それは神様でも判らないことで、生きようとする本人の意志と身体の具合とで決まることであって、あなたがまだまだ生きたいと願うのであれば、人知を超えてそうなるのかもしれません。あなたはどう思いますか?」と伺いました。

すると、「そうなのよね、私はね、あんな先生、見返してやるんだとそう思っていますよ。」「まだまだ死ぬ気にはなれませんからね。あと3年は生きて、そしてあの先生に会いに行くんだから。」と意気軒昂です。

 いや〜、こんな患者さんに来られても、その先生は驚くだろうし、迷惑なんじゃ〜ないのかな・・と思いましたね。

 それで、それを聴いていた娘さんがけらけら、といいますか、豪快に「ワッハッハ〜」とそれはそれは大きな笑い声で、病棟中に響くようなけたたましい声で、愉快そうです。

 あれ、何だか風向きが変わってきましたね。

それからは、「もう帰る、」とむくれていた同じ方とは思えないような、実にフレンドリーな方に印象が一変しました。

 いまでも、どうしてそうなったのか、判りません。横にいたクラークの◎さんも、どうしてですかね〜、と首をかしげていました。

 思いますに、病状を理解したくない、がんなどの命を脅かすかもしれない事態を、ほおかむりしてやり過ごそうとする、あるいは「これは夢なんだ、そうだ夢だ」と思おうとするヒトが結構いらっしゃる、そんなことなのではないのかな。

 それで、その先生も、見るに見かねて、それで、ボツッとあと半年は生きられないんだから、ちゃんと考えましょうね、とそういうことでそんなことを仰ったのではないのかな、なんて考えました。

 私はこう考えていました。「ウン、それはお怒りになるのは判るな。それで怒ったままここに来ちゃったんだね。こうしよう。今そこに居るこの患者さんの、今、にフォーカスしてみましょう。この方が何故怒っているのか、そこに焦点を当てて、いわば気持ちに手当してみましょう。そうしたら、何かラポール(関係性)が産まれてきて、そうしたら、この患者さんや娘さんと良い関係状態になれるのかもしれない。よーし、ここは頑張るぞ。へこたれないぞ。」ってね。

 黒澤明監督が描いたあの「羅生門」という映画の凄さ。皆さんご覧になったことがありますか。

 誰がウソをついているのか。はたまた全員がウソをついているのか。物事は多面体ですので、ある一方から光を当てても、それは真実を映し出していることにはならないのだな、とは、あの映画を劇場で観た若き日の私が考えたことでした。

 なんにせよ、ガッカリして、あるいは怒って、私の外来からお帰りになるところだったのが、今では「ここに来て良かったわ。先生またくるからね。そうね、小早川って言いにくいから、コンバインと呼んでもいいかしら、うんそうしようっと」ともう私の渾名までつけちゃっています。

 大ドンデン返しで、上機嫌でお帰りになりました。良かった、良かったですが、さて次の外来は如何しましょう、ね?

 「また、何か辛い症状かなにかがあれば、クラークの◎さんにお電話くださいね。」

何とか、1時間の外来枠にぎりぎり収まりました。

 さて、次の方、

◎△さんをお呼びしましょうね。

どうぞ、お入りください。

あ、初めまして、私は当院の緩和ケア内科の◎△です。

宜しくお願いします。・・・

このようにして、初めて会う方々の機嫌をできるだけ損なわないようにして、かなり神経を使いながらの外来が続きます。

全ての外来が終わってから、紹介してくださった各病院の先生方に『診療報告書」を作成し、その日のうちにFaxで送信し、郵便で原本を送付します。

 それで緩和ケア内科外来が4時、5時に終了しても、その後のプログレスノートへの記載や先生方への返信などで1,2時間は軽くかかります。それから、緩和ケア病棟での夕方の回診、それにご家族との面談、これがまた時間がかかります。

自室に戻り、決裁書類に目を通し、サインし印鑑をつき・・そうしている間にも、「先生、薬が切れます・・先生また痛がっていますので、持続皮下注射の中身の変更を・・痰がたくさん出て苦しがっています、ハイスコの注射箋をお願いします・・先生、◎さんの遠いところに住んでいるご家族が、病状の説明を求めて、今突然来られました・・先生・・先生・・」と引っ切りなしです。

 私一人しか、緩和ケア内科には在籍していませんので、少なくともあと一人は、必要ですよね。

神様、こんな私を憐れみ、助け手を派遣してください。伏してお願いいたします。